おおたわ史絵の人生拡げた女子大生時代の“ボディコン”ディスコ通い
画像を見る 大きな瞳でこちらを振り向く女子大生時代のおおたわさん

 

■鶴光さんの下品なラジオでおなかを抱えて笑った

 

テレビは見る時間が限られていたため、親から干渉されず、自分の部屋でこっそりと聞けるラジオが、至福の時間をくれたという。

 

「『欽ドン!』もテレビ(’75~’87年・フジテレビ系)で見た記憶より、ラジオ(’72~’79年・ニッポン放送)で聞いていたときのほうがより印象に残っているし、とくに高校時代は(笑福亭)鶴光さんの『オールナイトニッポン』(’67年~・ニッポン放送)が鉄板でした。果てしなく下品で、おなかを抱えるくらい笑えて。番組の放送内容が書籍化されると、放課後に友達と一緒に読んで、Y談を楽しんだりもしました(笑)」

 

その高校時代に打ち込んだのは、中学から始めたダンス。

 

「ダンスの授業があって、顧問の先生がすごく熱心だったんです。創作ダンスに取り組み、衣装も生徒たちで作って、学内コンクールに参加したりしました」

 

ただ、楽しみといえばそのくらいで、大学受験の勉強に追われる毎日。おおたわさんは父親が自宅で内科を開業していたこともあり、幼いころから“将来は医師になる”と決めていたという。

 

「“親戚に医者と弁護士がいるといい”なんて言われていた時代で、そういった周囲の期待もあったから、ほかの道を考えたことはありませんでした」

 

真摯に医学に向き合う父の姿からも、大きな影響を受けた。

 

「すごく勤勉で努力家。朝の5時から起きて医学書を読んでいたり、夜中でも日曜でも『具合が悪い』と患者さんから電話がかかってくると、往診に出かけたりしていました。そんな父を見ていると、遊びたいし、怠けたいと思っている、こんな私に医者が務まるのかという不安もありました」

 

だが父親は“人生の幅を広げるためにも、医学以外のことも経験すべき”と、さまざまなチャレンジを応援してくれた。

 

「なんとか医大に進学できたのですが、真面目な女子が多い医科大学ということもあり、大学生活は決して華々しくはありませんでしたね(笑)。朝から夕方まで学校にいて、想像していたのとは真逆でした」

 

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