■菅原文太さんに「殴って」直談判
なかでも印象に残っているシーンは、ドラマ『ダウンタウン物語』(‘81年・日本テレビ)。
「オヤジが演じたのは、貧しい教会の牧師。クリスマスの日に、リボンをつけた鉛筆くらいしか子供達にプレゼントできず、嘲笑されてしまうんですね。そのときのニコニコとして取り繕う父の顔が、何とも切なくて……。家族の前で泣くのは嫌で、一人でトイレに行って、ボロボロ泣いていました。かわいそうな役をやらせたら、父の右に出る人はいないんじゃないかと思っています」
父の演技で感性が磨かれた仁科は、12歳で京都から東京に引っ越し、父との生活をスタート。時間があれば映画談義をしたり、映画の裏話を聞いたりした。
「そのたびにオヤジは何でも答えてくれました。『仁義なき戦い 広島死闘編』で、ボートにロープで縛られて海の中を引きずられるシーンでは、実際には安全のためにロープを縛らず、手で握っていたそうです。それでも溺れる間際まで手を離さず、死にかけたと聞きました。菅原文太さんに殴られるシーンでは、『本気で殴ってください』と直談判した話など、今では驚くようなことばかりでした」
ワンシーン、ワンシーン、命懸けで演じた父の背中を見ていたが、自らが役者になることは考えもしなかったという。
「父の仕事の関係で、学生時代にオファーが来ることもありましたが、友達に見られるのが恥ずかしくて、ぜんぶ断っていたんです」
大学在学中、水道工事のアルバイトをしていたころ、川谷さんの個人事務所で、信用してきたスタッフによる数千万円に及ぶ使い込みが発覚した。
「オヤジも誰を信用していいのかわからなかったのでしょう。ボクがマネージャーとして、オヤジのスケジュールを組み、ギャラ交渉までするようになったんです」
『ダウンタウンDX』(‘93年〜・日本テレビ系)の第1回目の放送で、菅原文太さん、山城新伍さんとともに川谷さんがゲスト出演した際には、収録現場まで付き添った。
「オヤジについてまわり、華やかな世界を見る機会が増えました」
尊敬する父の仕事を見ることができたのは、2年間ほど。川谷さんの肺がんが判明したことで、突然、終止符を打たれたのだ。
「体調が悪かったのに、病院に行くのを先延ばしにしてしまって……。ボクが風邪をひいたとき、近所のクリニックにオヤジを連れていったんです。胸部のレントゲン写真を見て、すぐに大きな病院を紹介されましたが、すでに肺がんはステージ4。オヤジに告知することもできず、半年後の‘95年12月に急逝したんです」