瀬戸内寂聴さん 歌手に秘書、知人らが明かす「私の人生を変えた言葉」
画像を見る “66歳年下の秘書”である瀬尾まなほさん

 

■「愛することは、許すこと。それが究極の愛です」ーー秘書・瀬尾まなほさん(33)

 

「『京都に住んでいるのがつらい』、先生が亡くなって半月後ごろから、そう思うことが多くなりました。

 

先日、先生が通っていた病院の近くに所用で行ったとき、『ああ、この病院に何度も一緒に来て、帰りに2人でお茶したこともあったな』と、なつかしい風景が蘇りました。その喫茶店に1人で入って、先生と向かい合って座った席で、フレンチトーストを『おいしいね』と、2人で半分こしたことを思い出しました。こうした先生とのちょっとした外出先での出来事が、私の記憶に、しっかりと残っているのです。

 

ふとスマホでメールを見ると新着が……。私が読売新聞に書かせていただいた瀬戸内先生の思い出の記事のゲラ刷りが送られてきたのです。先生が亡くなってからめまぐるしい日々が続き、悲しみにくれる暇もなかった私ですが、先生と座った席で、思い出をつづった原稿をスマホの画面で読み直すうちに、涙があふれました。

 

京都タカシマヤの前を歩けば、ジーンズとセーター、ニット帽で変装した先生とお買い物をして、帰りにとんかつを食べたっけ……など、秘書を務めるようになってからはどこへ行くのもいっしょでしたから、京都には先生との思い出の場所がありすぎて切ないのです。これまでは『また』があったのに、もう二度とないのですから。

 

いまでもどこかでちょっとおいしいものを見つけると、『あ、先生に買って帰ろう』と思ってしまう。でも『おいしそう!』と子供のように喜んでくださった先生はもう寂庵にはいません。

 

先生と出会い、間近で暮らしているあいだに、自分の才能を先生にたくさん見つけていただき、私の人生には思いもしなかったことが次々に起こりました。

 

それに先生は『秘書として私の後ろに控えていなさい』ではなく、『私の前に行け』と、自信のない私の背を押し続けてくれる人でした。なかでも私が『おちゃめに100歳! 寂聴さん』(光文社)を出版した後、いっしょに記者会見したときの言葉は忘れられません。

 

『私の人生も残りが少なくなっています。どうか私が死んだ後も、このまなほをよろしくお願いいたします』、そう言って、記者の皆さんに深々と頭を下げてくださったのです。そのときのことをいま思い返すと、すごいことだったな、と。先生が私のために頭を下げてくださっただなんて。

 

先生の天台寺での法話や講演旅行には必ず同行してお話を聴いていましたから、たくさんの先生の言葉が耳に残っています。たとえば、人も動植物も万物は次々に生まれては、止まることなく変化していくという『生生流転』。

 

自分の利益を脇に置いて人の利益や幸せのために尽くしなさいという『忘己利他』などは、抵抗なく私の皮膚の内側に張りついているようです。

 

でも実はいちばん印象深く耳に残っている言葉は……、晩年が近づいてから先生がよくおっしゃっていた『愛することは、許すこと。それが究極の愛です』という言葉なのです。たとえば夫が不倫したとすれば、私は一生許さないでしょう。『愛することは許すこと』、この言葉の意味の深さを私はまだ受け止めることができません。

 

先生のように心が大きな人になって、この言葉を心から言えるようになるには、どのくらいの人生経験を積めばいいのでしょうか。

 

瀬戸内先生、私はいつか先生のような優しい人になりたいのですが、一生なれそうにありませんーー」

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