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「テレビが急速に普及した東京五輪の年に生まれたので、完全にテレビっ子。いまでも、テレビは出るより見るほうが好きなんです。母に聞いたところ、最初にしゃべった言葉はテレビで見ていた『オバケのQ太郎』の『Qちゃん』だったそうです」

 

そう語るのは、女優の杉田かおるさん(57)。劇団若草入団後、『パパと呼ばないで』(’72~’73年・日本テレビ系)でテレビドラマデビュー。チー坊役で話題となり、天才子役と呼ばれた。

 

「でも、子役界には“12歳の壁”というものがあって、声や体が変わってくるとオファーがなくなるんです。私は小さいときから、自分が“とんでもなくかわいい”って勘違いしていたけど、だんだんと“かわいいだけでは売れない”と考えるように。テレビに出なくなって“レコード店の廃盤コーナー”みたいに思われた時期もありました」

 

そんなときに出合ったのが『3年B組金八先生』(’79~’11年・TBS系)。とくに杉田さんが演じた妊娠・出産をする女子中学生はドラマの中心人物で、ようやく子役からの脱皮を果たせたのだった。

 

「共演者もスターばかり。トシちゃん(田原俊彦)やマッチ(近藤真彦)見たさに、荒川の土手や赤坂のTBSにはファンが押し寄せてきました。でも、撮影現場ではみんな普通の“クラスメート”。生徒には控室はなくて、リハーサル室に集まるんです。空き時間にヨッちゃん(野村義男)がギターを持ってきて歌ったりしていたのも、懐かしい青春の1ページですね」

 

『金八先生』が終了した直後、『池中玄太80キロ』(’80~’89年・日本テレビ系)で、主人公・池中玄太(西田敏行)の娘役を好演。

 

「放送が始まった’80年は松田聖子さんがデビューした年。資生堂のCMで『裸足の季節』を初めて聴いたのですが、歌声で鳥肌が立ったのは、ユーミン以来のことでした」

 

聖子の出現によって華やかなアイドルブームが始まろうとしていたが、杉田さんは子役からの脱却で苦労したこともあり、イメージがつきすぎないよう、アイドルとは一線を引いていたという。

 

「だから『池中玄太』の挿入歌『鳥の詩』がヒットして、『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)の話題曲を取り上げるコーナーに出演依頼があっても、ニューミュージックの歌手みたいに『出たくない』って断っていたんです。でも『池中玄太』が同じ日本テレビのドラマだったので、断りきれなくなって……」

 

満を持して出演したがーー。

 

「会場にいるファン層がだいぶ違ったみたいで“なんだ、西田敏行と杉田かおるか”みたいな雰囲気になっちゃって。出待ちでも『トシちゃんじゃないんだ』とがっかりされてしまったんです(笑)」

 

一つの型にはまらないよう、仕事のオファーの8割は断り、自身が“これは!”と思える作品にのみ力を注いだ。

 

「どんな人気も数年で終わることがわかっていたので、空前の好景気で世の中が浮かれた気分になっても流されず、“いつかバブルは終わる”って考えていました」

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