住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「『オレたちひょうきん族を作ったのは、オレだよ』『たけしを連れてきて、タケちゃんマンやらせたのはアタシだよ』……のように、私とハリセンボンの(近藤)春菜が、すべての発祥は自分たちだと言い張るネタ『徳男と徳子 オレだよ、アタシだよ』(2月25日、東京公演より全国ツアー開始予定)のネタに取り入れるほど、私のお笑いのベースは、まさに’80年代にあるんです」
こう言い切る友近さん(48)。とにかくテレビが好きで、お笑いと歌をテレビから吸収しまくった少女時代を送ったという。
「お笑い番組が好きな父の影響で、漫才ブームのときは『花王名人劇場』(’79~’90年・フジテレビ系)に出演していた芸人さんをよく見ていました。なかでも太平サブロー・シローさんの、人物描写を取り入れた漫才に夢中で、姉や“わかってくれる”友達の前で、クラスの友達や近所のおばちゃん、学校の先生のモノマネを披露していました。生まれつき、人の特徴を探すのが好きだったのかもしれません」
『ヤンヤン歌うスタジオ』(’77~’87年・テレビ東京系)、『たのきん全力投球!』(’80~’83年・TBS系)のように、歌ばかりでなく、アイドルがコントにも参加する番組も食い入るように見た。
幼いころは、住んでいる地域のテレビ電波の関係でTBS系が映りづらく、『ザ・ベストテン』(’78~’89年)や『8時だョ!全員集合』(’69~’85年)が自宅では見ることができなかった友近さん。どうしても見たいときは隣町に住む祖母の家まで行ったという。
「だから歌番組は『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)や『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年・フジテレビ系)がメイン。アイドルたちの衣装にも憧れましたね。早見優ちゃんが『夏色のナンシー』(’83年)のときに着ていた水玉模様のドレスが素敵で、同じような洋服を買ってもらったりしました。『ト・レ・モ・ロ』(’84年)で柏原芳恵ちゃんが着ていたピンクとグレーの衣装もすごく印象に残っていて、いまでもその色の組み合わせを街中で見ると、当時の芳恵ちゃんをふと思い出すんです」