「おニャン子クラブは恋愛禁止でしたが、みんな学生でしたし、学業との両立で遊ぶ時間を見つけるのは一苦労でした。それでも、憧れの人が制服姿で『夕やけニャンニャン』を観覧しに来たこともあったし、ディスコの関係者が裏口から入店させてくださってVIPルームの中から人が踊っているのを見たりして楽しんでいましたね」
そう語るのは、’85年に「おニャン子クラブ」の会員番号13番としてデビューした内海和子さん(55)。時はバブル全盛期。ブランドに夢中になり、空き時間はほとんど買い物に費やしていた。
「おニャン子の撮影でLAに行ったときは、『ルイ・ヴィトン』を貸し切りに。確かお小遣いを10万円ほどいただいた記憶がありますが、場所柄、到底足りず、クレジットカードを使って『棚のここからここまで』という買い方をしていました(笑)」
’87年におニャン子クラブを卒業後、ドラマや歌の仕事を続けたが、社会人として、大人の女性としての未熟さに思い悩む日々。
「’93年にアリゾナで撮影した写真集の発売を機に、芸能界から少し距離を置く決意をしました。あの写真集は女子ファンにも喜んでもらえるような構成にしたのでいまだに自分でも見返しています」
芸能界を離れ結婚、娘の出産を経て子育てに専念。お受験させた反動も大きかった。
「高校の卒業式の日に、娘がいきなり髪の毛をカラフルに染めて! 徐々に耳、舌、おへそ、口元にもピアスを開けていったんです」
娘であるライブアイドル・ゆりあんぬさん(24)は、テレビ番組で「整形手術に800万円かけ、母と殴り合いのケンカをした」と告白しているが……。
「さすがに化粧品を買うみたいに顔にメスを入れるとは思いませんでした。親子関係は良好だと思っていますが、娘の頑固な世界観を受け入れるまでには時間を要しました。今はリスペクトに近い感情も芽生えたかな」
と苦笑い。コロナ禍でライブ活動する娘の送迎を手伝うなど、応援する一方、老後も見据えている。
「昨年から、熱海に移住するため、家の新築計画を進めています。更地にするところからのスタートで、毎週毎週ハウスメーカーさんとの打ち合わせに悪戦苦闘中。まさかアラ還で2度目のマイホーム購入とは(笑)。無謀といっても過言ではない人生最大級のお買い物をこの年でするなんて、夢にも思っていませんでした。いまは熱海の食材を使った料理をYouTubeなどで発信するため、撮影環境の整ったキッチンを設計中です。以前の熱海は寂れていて、そんな希望すら持てなかったですが、夢や希望が広がる街へと日々進化中。若者を中心に人気の『熱海プリン』に続くご当地スイーツなども考案してみたいですね」
熱海での“第二の人生”に心を躍らせているようだ――。