■泉ピン子さんがくれたアドバイス「本番前にビスケットは食べないほうがいい」
聖子が一世を風靡していたころ、小林さんは’80年代を代表するドラマ『おしん』(’83~’84年・NHK)のオーディションを受けていた。
「最初にNHKに行ったのは、小4の8月だったと思います。オーディションの序盤は普通に自己紹介したり、隣の人と台本を読み合わせしていくものでしたが、3次審査では、橋田(壽賀子)先生がお書きになった長セリフを全部覚えて、リハーサル室で女優さんと演じるという本格的なもの。何ページにもわたるセリフに『これは無理』と言うのを、母に『ここまできたんだから頑張ろう』となだめられながら、覚えました」
最終審査では、選ばれた5人の“おしん候補”が、衣装を着て、髪の毛を結って、メークもした状態で、スタジオでカメラに囲まれながら演技。
「それまで出演していたドラマはカメラが1台でしたが、『おしん』では、クレーンカメラなど5台もあって、圧倒されました」
数カ月におよぶ厳しい選考をくぐり抜け、初めての主役を射止めたのだった。
「撮影は雪深い山形県でスタートしました。地元の人やスタッフの方々がいろいろ気づかってくださるのですが、それでも川は冷たいし、吹雪のシーンは凍えるほどで大変なロケでした」
都内に移って夏のシーンを撮影すると、最後はスタジオ収録に。
「おなかがすいたときに、母が用意してくれたビスケットを食べていたら、泉ピン子さんが『本番前は、滑舌が悪くなるからビスケットは食べないほうがいいよ』とアドバイスしてくださったのを覚えています」
ドラマの反響は驚くほどで“かわいそうなおしんちゃんのために”と、米一俵や現金などがNHKには送られてきたという。
「そのお心遣いはありがたいのですが、もちろん、現金などは丁重にお断りして返却されたそうです。役のうえではそうですが、ふだんの私は聖子ちゃんファンの普通の小学生でしたからね」
そのことは撮影現場でもよく知られていて、聖子が出演する『レッツゴーヤング』(’74~’86年・NHK)を観覧できるよう、スタッフが手配してくれたこともあった。
『おしん』の後に出演した『ランドセルと目玉焼き』(’83年・TBS系)では、劇中で聖子の歌を披露したことも。
「弟と家出した私が、『渚のバルコニー』(’82年)を歌いながら、あてもなく線路を歩くシーンがあったんです。タイトルどおりのさわやかな曲で、台本を見たときはうれしかったですね」