■娘が友達と仲よくしているのを見ると、涙が出るくらいに嬉しいんです
17年、片山さんのおなかには、新しい命・陽毬(ひまり)ちゃんが宿っていた。陽毬ちゃんの父=片山さんのパートナーは音楽家・浩朗さん(51)。
「妊娠がわかって、私自身は『やったー!』って、超嬉しかったんです。だけど、家族や浩朗さん、ごく近しい友人たち以外の人からは『え、産むの?』という声ばかりで。『生まれてくる子に障害があったらどうするの?』『子育てって大変で、その体じゃ苦労するよ』なんてことも言われました」
もちろん、多くは善意ある、自分を心配してくれる声ということは理解していた。だが、言われるたび片山さんは、打ちのめされるような思いだった。
「それまでも、ひどい仕打ちに散々あってきました。障害があるというだけで、選択肢の幅が驚くほど狭められてしまう経験も。だけど、妊娠や出産という人間の基本的なことまで、自由に選択させてもらえないのかと、愕然としたのを覚えています」
実際、片山さん本人も不安な気持ちがなかったわけではない。
「でも、仮におなかの子に障害があったとしても、なんとでもなると思った。それに、その心配というのは、どんな母親でもするものだとも。だから、産まないという選択肢はまったくなかった」
その年の7月、陽毬ちゃんが誕生。母となった片山さんは、やはり真っ先に、赤ちゃんの足と手の指を確認したという。
「でも、そのとき『あってもなくてもどっちでもいいや』って、本心から思っている自分がいたんです。それぐらい、いとおしかった。そして、私を産んでくれた母も、障害があることなど関係なく私を愛してくれたと確信できたんです」
片山さんは「もともと結婚する気はぜんぜんなかった」と話す。
「知り合ったのは私が19歳のころ。音楽が好きだったので、バンドのライブやクラブへよく出かけました。浩朗さんは地元で人気のDJでした。私はすっかり彼の才能にほれ込んで。大学時代は追っかけファンをしていました」
その後、彼女が上京したため、しばらく会わない時期も。だが14年、片山さんが地元・群馬に拠点を移したのを機に再会し、交際に。
「元々、私が結婚という制度に懐疑的だったので事実婚で構わないと思ってました。でも、子供が生まれ、家族で暮らし始めると、当時は会社員もしていた彼の育児休暇や時短勤務、それに保育園や住宅ローンと、結婚していないことで、なにかと不便が多くて。それで、親戚が集まった機会に突然、彼が『結婚宣言』して(笑)。18年に入籍しました」
片山さんは子育てをしながら、自分のことを見つめ直した。周囲が心配したとおり、彼女特有の苦労も、少なくなかった。
「たとえば、立ったまま抱っこしていて娘が眠ってしまうと、義足の私は屈んでベッドに寝かせてあげられないんです。しょうがないので、ずっと立ったまま。『どうしよ? これ普通のお母さんなら寝かせてあげられるのかな?』って」
でも、そこは、しっかり者の浩朗さんが全面的に支えた。だから、マタニティブルーも、産後うつも乗り越えられた。
片山さんは「彼の助けがなかったら、いまの私はない」と明言し、感謝も口にする。
「他人と関わることが苦手だった私は以前、なんでもひとりでやらなきゃって気持ちが強かったんです。でも、夫とともに子育てしていくうちに、ひとりじゃできないことは誰かの助けを借りてもいいんだって、素直に思えるようになった。それに、娘は私たちのやることをすべてインプットして、そのままアウトプットするので。もう、彼女との関係はガチンコの人間関係だと気づきました。もし、私が取り繕ったり無理をしたら、彼女もそういう人生を送ることになるから。だから私はいま、等身大の自分でいられているんです」
真剣勝負な育児のさなか、胸が熱くなるような経験もした。
「娘が友達と仲よくしている姿を見ると……あれほど、友達なんかいらないって言ってた私なのに『友達できてよかったね』って、涙が出るくらい嬉しくなるんです」