■審査員から「なんでこの曲を選んだんですか?」
山口県の宇部へ転居した中学2年のときには、九州の『第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテスト』(KBC九州朝日放送)のオーディションに出場。
五輪真弓の『恋人よ』(’80年)を歌って優勝した出場者をはじめ、コンテストには平尾昌晃氏の音楽教室に通っている「ガッチガチの歌唱力を前面に押し出すタイプ」が多かったという。
「私は奈保子さんの『ストロー・タッチの恋』(’83年)を歌ったのですが、ポップな曲が異質だったのか、審査員の方から『なんでこの曲を選んだんですか』と。たぶん“はやっていたから”くらいの理由でしたので、うまく答えられませんでした」
番組出場によってレコード会社からスカウトされ、芳本さんも福岡の平尾昌晃音楽学院九州校に通うことになった。自宅のある宇部からは、片道3時間。
「電車の本数も少なかったので、レッスンの開始時間に間に合うように行くと、だいぶ早くに到着してしまうんですね。初めてのレッスンの日には、おなかがすきすぎて声が出なくて……。九州校の先生が出前を取ってくれたラーメンの味は、今でも忘れられません」
1年ほどレッスンに通い、縁があって河合奈保子と同じ事務所に所属することに。
「デビュー前にお会いしたときの奈保子さんの第一印象は“うわーちっちゃい!”。すごくかわいくて、キラキラしていました。私は『スマイル・フォー・ミー』(’81年)も『コントロール』(’84年)も大好きで、声に伸びがあって、とにかく歌が上手なので、心から尊敬していましたね。『今度、同じ事務所になりました』と挨拶すると『頑張ってね!』と応援してもらえたのもうれしくて」
’85年にアイドル歌手としてデビュー。『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)の注目曲を紹介するコーナー「もうすぐトップテン」に出たことは、とくに思い出に残っている。
「奈保子さんの曲もランクインしていて、『事務所の後輩なんです』と紹介してくださったんです。でも、私はというと、デビュー曲『白いバスケット・シューズ』はキーが高かったので、“声がひっくり返りませんように”とドキドキ。顔が固まっていたと思います。『C』(’85年)でデビューした中山美穂ちゃんも一緒に出演したんですが、本番後、事務所のスタッフさんから『美穂ちゃんみたいに思い切って歌わないとダメじゃないか』と怒られるほど、緊張していました」