■過酷だった美容室勤務…電車のつり革を握ると血がにじんだ
“帰宅部”として過ごした高校時代、将来を考えて始めたのが、美容師になるための通信講座だった。
「高3の夏の1カ月間だけ、東京の寮に入って実技を勉強すれば、高校卒業後に美容室で、インターンとして働けるシステムでした」
努力が実り、銀座にある大手美容室に就職がかなった石井さん。
「バブルのころはスタイリストのような“カタカナ”の、おしゃれな職業を夢みる人が多かった時代。新人の私は制服でしたが、入社5年目からOKになる私服を着て、髪をワンレンにしている先輩の姿がまぶしかったです」
だが、セット台が30台、シャンプー台が10台もある大型店だったことで、腕を磨くチャンスはなかなか訪れなかった。
「一日中、シャンプーをしていたから手が荒れてしまい、電車のつり革をにぎると、血がにじんでついてしまうほどでした」
そんな毎日のなかで“何か違うな”と感じてしまい、1年ほどで美容室を退社。友人に紹介された六本木のカラオケスナックで、夜7時から深夜3時までのアルバイト生活を送ることに。ここで人生の大きな転機を迎えた。
「お客さんから『何か歌ってよ』と頼まれるんですが、それまで歌番組などをそれほど熱心には見ていなかったので、歌本を見て、演歌や歌謡曲、ポップスなどを覚えました」
スナックには、中森明菜の形態模写が上手な仕事仲間もいた。
「ただ、歌が得意じゃなくて、私が歌だけ担当することになったんです。『十戒(1984)』(’84年)や『DESIRE-情熱-』(’86年)で、その人が体をのけぞらせたりして踊る横で、しゃがんで、動きに合わせながら歌いました」
常連客にテレビ局や芸能事務所の関係者が多いスナックで、石井さんの歌声に将来性を感じ、『一度、カメラの前で歌ってみないか』と声をかけられることも。
「でも私はお金をためて、いずれ美容師の仕事に復帰すると決めていたので、そのたびに『興味ありません』と断っていたんです」