衝撃シーンにくぎ付けになった当時は芸能界に憧れる中学生だった、武田久美子 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、ブームになった映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「『セーラー服と機関銃』(’81年)が公開されたころは、まだ中1。でも、薬師丸ひろ子さんを見て、“映画女優さんって素敵だな”と、ほのかな憧れを子どもながらに抱きました」

 

こう振り返るのは、武田久美子さん(53)。’82年に映画デビューするまで、芸能界で生きていくことなど夢物語だったという。

 

「3歳ぐらいだったと思うのですが、物心ついて、すぐファンになった芸能人は麻丘めぐみさん。“なんてかわいらしいんだろう”って。髪形をマネしてみたり、幼稚園カバンにも“久美子”じゃなくて“めぐみ”って書いてくれって頼んでみたり。母は『もらいものみたいで嫌だわ』と、こぼしていましたが……(笑)」

 

小中学生時代に夢中になったテレビ番組は『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)。

 

「土曜夜8時の『全員集合』を見ないと、次の月曜の学校での話題についていけなくて。そのあと10時からの『テレビ三面記事 ウィークエンダー』(’75〜’84年・日本テレビ系)の、ちょっとエッチな『再現フィルム』にも興味があったのですが、さすがに親は『子どもには早すぎる』と。さらに『もう打ち切りになった』と聞かされていたのですが、ある日、偶然、まだ放送しているのを見て、だまされていたことに気づきました(笑)」

 

そんなふうに好奇心旺盛で、目立ちたがり屋の性分もあり、幼いころからモデルの仕事をしていたという武田さん。

 

「4歳下の弟が生後数カ月のとき、ワクチンの接種会場で、赤ちゃん専門のモデル事務所にスカウトされたんです。その撮影現場についていくうちに、私にもモデルの仕事が入るようになって。7〜8歳ぐらいから、けっこう忙しくなりましたね。ほぼ毎日、授業が終わると、校門のところで母と待ち合わせて、ランドセルと名札を預け、代わりに交通費の1,000円をもらって、子ども服のカタログや、おもちゃのCMの撮影に出かけていました。でも、モデルの世界と芸能界は、また別ものだということもわかっていて、“芸能人になれたらいいな”なんて憧れはあったけど、そんなに簡単にはいかないだろうと思っていました」

 

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