■「あなたみたいな子にはコム・デ・ギャルソンは似合わない」
「でも中学に上がると、制服になったこともあり、またなじめなくなってしまって……」
当時は管理教育や、それに反発した校内暴力などが社会問題となっていた。
「私の学校には『3年B組金八先生』(’79~’11年・TBS系)の“金八さん”のような先生もいなくて。私自身、スカートの丈や靴下の折り方などの厳しい校則に『おかしいです!』って、毅然と声を上げられるようなタイプでもありませんでしたし。しかもバレエ優先の毎日で、部活にも入っていなかったから、学校で友達があまり作れなくて……。物おじしてしまう子どもに逆戻りしてしまいました」
自己表現の場となっていたバレエにすら、壁を感じていた。
「努力だけでなく、才能も必要なので、年齢を重ねるうちに“私にはかなわない”と限界を感じるように。東京バレエ団の元プリマドンナで、現在は芸術監督をしている斎藤友佳理ちゃんが当時、同じ教室に通っていたので、なおさらですよね。このまま高校に進学してからも続けるのは難しいと思ったし、どうやって生きていけばいいのか、悩みました」
自信を失いそうなときでも、ファッションへの興味と情熱は持ち続けていた。
「本屋さんに行って、いつも見るのは『Olive』や『anan』などのファッション誌。とくに『装苑』には洋服のパターンがついていたので、それを見せて、相変わらず母に洋服を作ってもらっていました」
世界で一着の母の手作りは、有森さんにとって、自慢でもあったがーー。
「中学2~3年くらいにDCブランドがブームになって、私も憧れるようになったんです。ピンクハウスや、キャトル・セゾンのようなガーリーな感じの服は、母も理解できるので作ってくれるのですが、コム・デ・ギャルソンやワイズのように、黒が基調で、裾がずるずる長かったり、左右アシンメトリーだったりする斬新な服は、母にとっては奇々怪々。作ってもらうよう頼んでも『あなたみたいな子が着ても、似合わない』と言われてしまって(笑)」