シンガー藤井風のデビュー前秘話 町のコンサートでおばあちゃんたちを熱狂させて
画像を見る 「この小さなステージから風くんは世界へ向け旅立った」と語る平野さん母娘の夢はいつかここで藤井と共演すること(写真:田山達之)

 

■20歳前後になって回覧板を持ってきて世間話。町内の女性たちは皆、「風くん、かわいい!」

 

父親が営んでいた実家の喫茶店ミッチャムが、惜しまれながら閉店したのは昨年9月。訪れたファンたちは、店頭のこんなメッセージを目にすることになる。

 

「昨年より様々な状況が激変してしまい、又、寄る年波にも勝てず閉店することとなりました。ミッチャム 藤井○○」

 

「ミッチャムは、ビートルズが流れているような、昔ながらの喫茶店。町内の総会などでも使わせてもらっておったよ。コロナ以降、休業が多いと思っていたら、閉店となってしまったがね」

 

ミッチャムにも近く、藤井一家とも交流があったという近所の商店のご主人は語る。

 

「とはいえ、上のきょうだいの空くん、海さん、陸さんとは違い、風くんの本当にこまいとき(小さなとき)は、ワシはよう知らんのよ。ほら、彼は学校から帰ったら、毎日ピアノの練習をするんで、すぐに家に入っておったから。

 

でも、その後はうちに買い物に来てくれたり、近くの団地のイベントで歌ってくれたりで、よく話すようになったんじゃよ。

 

つくづく凄いと思うのは、ピアノも誰か有名な先生についたんじゃのうて、お父さんと勉強して身につけたこと。英語も、『おとんに習った』と言っておった。わが町の天才じゃ(笑)。指を見せてもらうと、クモの足のように細い。あれじゃ、なんでも弾けるわ」

 

最も記憶に残るのは、意外だが、ふだんの藤井の姿という。

 

「町内の回覧板を持ってくるのが風くん。普通、20歳前後のコは、そんな役目はせんじゃろ。そもそもワシはYouTubeも知らんから、高校を出たはずなのに、このコは家におって何をしとるんじゃと思っておったのよ(笑)。

 

いちばん驚いたのは、回覧板を届けて終わりじゃのうて、10分も20分も世間話をしていく。それもワシとだけじゃなくて、家内ともパートのおばさんたちとも。だから、もう、女性たちみんなが口々に『風くん、かわいい!』なんて言いだしておったから(笑)。

 

あのゆったりとした里庄弁の話し方も、お父さんゆずりじゃね。あれこそ、人を惹きつける最大の魅力だと思うんじゃが」

 

年の離れた末っ子として、家族の愛情に包まれた里庄町での生活が、たしかに藤井風という人の根っこにある。

 

近所の商店のご主人は、こんな秘話も打ち明けてくれた。

 

「風くんが’19年春に東京に行くというとき、ワシは心臓を悪くして手術も決まっておった。そのとき、風くんから『手術をちゃんと受けて元気にならにゃいけんで』とLINEが届いた。ワシの闘病と、彼の上京後の頑張りがちょうど同じ時期だったので、ワシはきつい治療にも耐えられた。風くんも、こんな田舎町から出ていって、本当に大スターとなった。

 

そして今、風くんのファンたちがワシに『長生きして、風くんの話をずっと聞かせてください』と言ってくれる。風くんが有名になって、ワシは10歳も若返ったよ(笑)」

 

それでも、「大スター」となった孫のような藤井に迷惑をかけられないと、自分からLINEをすることは控えていると話した。

 

もう一つ、ご主人はじめ故郷の誰もが口を揃えて言った藤井への伝言を最後に記したい。風くん、いつかまた、里庄町でライブを!

 

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