■同郷の安室奈美恵たちとのおしゃべりがホッとできる時間
歌う喜びを精神的な支えとして過酷なスケジュールをこなしていたが、徐々に新曲をリリースするのが難しくなっていった。
「スタッフさんに『どうして出せないんですか』と詰め寄ったことも。でも『今の時代、CDを出すのがどれほど難しいことかわかっているのか。とにかく名前と顔を覚えてもらって、新曲が出せる機会を待とう』と、冷静に説得されました」
そんなときにオファーされたのが『THE夜もヒッパレ』のレギュラー出演だった。
「『ヒッパレ』は元の曲にアレンジを加えたり、違うハモリを入れたり、男性の曲を女性が歌ったりする番組。自分の曲は披露できませんが、テレビで歌う数少ない機会だったから、すごくうれしかった」
番組では、サザンオールスターズや広瀬香美の名曲も熱唱。
「当時はすごく高音が出せたので、広瀬さんの歌も原曲キーのまま。でも、『ゲレンデがとけるほど恋したい』(’95年)は難しかった。音程が上にいったり下にいったりするし、最高音は限界まで声を出し切って、やっと出せました」
レジェンド枠として登場していた、つのだ☆ひろとデュエットする機会も多かった。
「声がパワフルすぎて、ハモリにつられてしまうんです。庄野真代さん、渡辺真知子さんなど錚々たる歌手とご一緒できたのは、貴重な経験。小学生のころから好きだったもんたよしのりさんとお会いしたときは、緊張しすぎてご挨拶くらいしかできませんでした」
一方、同郷の安室奈美恵やMAXとは沖縄の方言でしゃべることができ、緊張続きの現場でホッとできる時間だったという。
「アクターズスクールで一緒になったのは、私が上京する直前のわずかな期間。SPEEDの(島袋)寛子ちゃんは3歳くらいのときしか知らなかったので、大きくなっていてびっくり。安室さんは私が沖縄にいたときから期待されていて、アクターズスクールの社長からは『お前よりもすごいのがいるんだよ』って。実際に会ってみると、それも納得できるほどのスターオーラがありました」
持ち歌以外の曲を歌ううえ、デュエットや4~5人のグループで歌うことも多いため、入念な準備が必要かと思いきやーー。
「いや、全然(笑)。一緒に歌うメンバーと顔を合わせるのは本番当日になってから。少しリハーサルをして、その間に振付も終わらせるバッタバタのスケジュールで、振りを忘れてしまうことも……。その場その場の対応力が鍛えられたと思います」
番組で歌う早坂さんの姿が宮本亞門氏の目に留まって、初めてのミュージカル『熱帯祝祭劇マウイ』(’95年)への出演が決まった。
「私にとっては、貴重な歌う場でもあり、その後のキャリアにつながる番組でもあったんです」
【PROFILE】
早坂好恵
’75年、沖縄県生まれ。9歳から沖縄アクターズスクールに在籍。15歳でデビューすると『笑っていいとも!』や『マジカル頭脳パワー!!』など数多くのバラエティ番組で活躍した。大のプロレスファンで、夫はプロレスラー(現在は大阪府和泉市議会議員も務める)のスペル・デルフィン