■離婚後は恋愛観も変化。男性との付き合いはゼロ
しかし、結婚から6年たったころに義祖母が他界。何かがプツリと切れ、一周忌を見守ったうえで離婚することを決意したという。離婚当時の会見では相手の不倫が原因だと発表していたが、
「それも事実です。ただ、当時のマスコミは『酒乱で別れました』と言っても納得しないでしょ(笑)。離婚って、どんな人でもいろいろな理由があると思うんですよね」
義祖母のためとはいえ度重なるストレスに加え、我慢を続けたことで、体には異変が起きていた。
「離婚する2年前から右目がぴくぴくしだして、ずっと続いていました。彼がどこかへ飲みに行くと、『誰かに迷惑をかけているんじゃないか』と考えてしまって疲れてしまう。精神的に限界だったんでしょうね。医師から言われたのは、顔面神経痛のほかに、6つくらい神経の名前が入った病名でした」
今でも右目の痙攣は続いており、定期的な注射で抑えているという。
「でも、離婚してとにかく楽になりました。苦労からの解放、何も心配することなく自由に過ごせることほど幸せなことはありません」
島の人たちとは今でも仲がよく、結婚したことも後悔していないという。だが、この先は考えていない。
「あんな結婚生活してきたら2回目なんて考えませんよ。また自由に恋愛しようとも思えないくらい。威張って言うことじゃないですけど、離婚後は誰とも付き合っていません。男性を男性として見られないという感じですかね」
だからといって、「絶対一人で生きていく!」ということでもない。
「今はまったくその気がないっていうだけで、どこで何が起きるかわからないですから。そもそも、23歳で結婚するのが夢だったのがあっという間に過ぎて、もうないのかなと思っていたら40代で結婚したんだから。本当に人生、何が起きるかわからないですよ」
16歳でデビューし、歌手、女優として活躍。順風満帆な表舞台の裏では、度重なる試練を経験してきた。極貧だった幼少期には栄養失調に、大人になってからも病気、事故などで「何度も死にかけた」といい、離婚直後には甲状腺乳頭がんが発覚。手術の麻酔トラブルで何度も息が止まりそうになった。
「昔から“戦うときは一人”と決めてきました。弱っているところは誰にも見せたくないんですよね。私は、人間は平等だと思っていて、お金持ちでも貧乏でも、パートナーがいてもいなくても、波の大きさは違うかもしれないけど、苦楽の割合は同じなんじゃないかなと。誰しも人生いいことばかりじゃないから、覚悟を持って生きる。“死ぬときは死ぬさ”と腹をくくれば何があっても怖くないじゃない」
本人いわく「60代は大人になりつつある年代」。仕事もプライベートもさらなる充実を目指していく。
■“熟年離婚”を考えているあなたへ
1日1日を一生懸命生きていれば、何が起きてもはねのけられる力がついていくはず。誰も見ていなくても、大事があればあるほど笑っていたほうがいいですよね。友人でもご近所の方でも誰かが見守ってくれていたらありがたい。周りの人を大切にするっていうのも大事なことですね。
【PROFILE】
にしかわ・みねこ/’58年5月24日生まれ。福岡県出身。’73年に「全日本歌謡コンテスト」で優勝し、翌年に歌手デビュー。女優としても活躍する。’09年に西川峰子から改名した。