友利新 高校時代に「体重が15kgくらい増えて、顔中にニキビが」
画像を見る 安室さんを真似て細眉にしていた医大生時代の友利新

 

■人生の節目、節目で勇気づけてくれた安室奈美恵の歌

 

そんな悩みを抱えていた高校3年生のとき、安室奈美恵が『TRY ME~私を信じて~』をリリースした。

 

「こんなにスタイルがよくて、かわいくて、歌えて踊れる人がいるんだと衝撃を受けました。踊るといっても、アイドルの振付のようなものではなく、本格的なダンス。自分と同じ年齢ということもあって、アムロちゃんの歌を聴くと、自分を信じようと思えたり、勇気づけられたりしました」
その後出会った医師の治療により病状が回復し、体重や肌荒れも落ち着いた。そんな経験が、もともと抱いていた医師への夢を後押しし、高校卒業後は東京女子医科大学へ進学。

 

「東京は人が多いのですが、だからこそ孤独を感じやすかったです。学校の勉強も大変で、なかなか先が見えずに葛藤を抱いていた19歳のころに聴いていたのが『SWEET 19 BLUES』(’96年)でした」

 

医学部の勉強はハード。前期・後期試験の1カ月前から、毎日大学の図書館が閉まる夜10時まで勉強していた。

 

「それほど優秀な学生ではなかったので、勉強には苦労しました。図書館からの帰り道に、MDに録音した『Don’t wanna cry』を聴いて気持ちを高めていました」

 

大学がある場所が、お台場に移転する前のフジテレビに近かったこともあり、通学中にドラマの撮影現場を目にすることがあった。

 

「月9ドラマ『バージンロード』(’97年・フジテレビ系)のロケを見たときは感動。ドラマの主題歌が、アムロちゃんの『CAN YOU CELEBRATE?』ですから!」

 

それから数カ月後、安室は20歳で結婚・妊娠を発表、’97年の『紅白歌合戦』で同曲を歌ったのち、1年間の産休に入ったが、翌年の紅白で復帰した。

 

「ママになって、ちょっとふっくらして戻ってきたアムロちゃんは、本当に素敵でした。スーパースターで、結婚・出産も経験して、またステージに戻ってくる。すべてを諦めずに手に入れる姿に、すごく衝撃を受けたし“私も!”と影響を受けたんです」

 

医師になった友利さんは、恩師から「友利くんは、一人の患者を診るだけでなく、多くの人に何か発信もできるのではないか」とアドバイスされたこともあり、医師としてメディアにも出るという新たな挑戦をすることに。

 

「当時、女性の医師でメディアに出ているのは西川(史子)先生くらいだったので、やっぱり不安はありました」

 

メディアに出れば、厳しい意見が寄せられる。だが、そんなときに勇気づけてくれたのは、やはり安室だった。

 

「私なんかが“アムロちゃんみたいに”なんていうのはおこがましいですが、『Chase the Chance』で感じた“夢は、見たり語ったりするだけじゃなくて、努力をして手に入れなければ”という気持ちでやってきました。アムロちゃんには、生き方まで教わったんです」

 

【PROFILE】

友利新

’78年、沖縄県生まれ。医師免許取得後、内科医として勤務し、のちに皮膚科医に。医師として勤務するかたわら、’04年に第36回ミス日本コンテストで準ミス日本を受賞。3児のママとなった現在も多くの情報番組でコメンテーターとして活躍している

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