鬼才イラストレーター・五月女ケイ子「描く前にバイク便を呼ぶ」アスリート的お仕事術
画像を見る 20歳の頃の五月女さん

 

■想像の上を行く伊藤みどりのジャンプ

 

大学受験で芸術学科を選んだのは、もともと表現することが好きだったから。高校時代はダンス部に所属していたほど。

 

表現を楽しむうえで夢中になったのがフィギュアスケートだった。

 

「ロス五輪のころから家族でスポーツ番組を見る機会が増え、フィギュアスケートのNHK杯も欠かさず見るように。伊藤みどりさんが10代のときからファンでした」

 

その魅力はやはりジャンプ。

 

「当時、伊藤さんのライバルだった旧東ドイツのカタリナ・ビットは、ジャンプはそれほどでもないけれど、スタイルがよく芸術面がすぐれていて、大会でも優勝していました。反対に、伊藤さんは芸術点が低く、技術点で勝負するスタイル。でも、当時の採点方法では、芸術点がすぐれているほうが上位にいく感じだったんです」

 

そのため、カタリナは伊藤のようなジャンプで勝負する選手に対し「ゴムまりのようにぴょんぴょん跳ねている」といった辛辣な発言をしていた。

 

「たしかにカタリナの演技は美しいのですが、伊藤さんのジャンプの美しさは負けていませんでした」

 

カタリナの引退後、そのジャンプを武器に’89年の世界選手権でアジア人初のチャンピオンとなった伊藤。だが、期待されていた’92年のアルベールビル五輪では練習で失敗が続き、予定していたトリプルアクセルよりも難易度が低いトリプルルッツにプログラムを切り替えた。

 

「ところがそれも失敗してしまい転倒。フリープログラムでも前半、トリプルアクセルに失敗してしまって……。それでも演技の後半、伊藤さんは果敢に再チャレンジ! 銀メダルを引き寄せる躍動的なジャンプは忘れられません。現在のフィギュアスケートはダンスや音楽、衣装などを含めた総合芸術でありながら、ジャンプなどの技術を競うスポーツでもあります。そのスポーツの要素を大きく取り入れる流れを作った演技だったと思います」

 

伊藤の演技によって“表現”することへの思いを触発された五月女さんは、イラストレーターの道を歩み始めた。

 

「大学時代は就職氷河期で、私が企業の面接を受けてもうまくいくとは思えませんでした。それで就活の代わりにイラストを描きため、出版社へ持ち込んだんです」

 

イラストレーターとして活躍する今でも、トリプルアクセルという技を極めた伊藤の存在が、大きく影響しているという。

 

「イラスト道も、勝手にスポーツに通じると思っているんです。フィジカル、メンタルがともに充実して、初めて人を笑わせる作品が描けます。だから、“まっさらな紙を前にするときはお菓子を食べて糖分を補給する” “描く前にバイク便を手配して、ウチに来るまでの30分間で集中して仕上げる”など、若いころからアスリート的な心持ちで仕事に向き合ってきました」

 

独自の“五月女ワールド”はスポーツ選手のようなゾーンに入ることで生み出されているのだ。

 

【PROFILE】

五月女ケイ子

’74年、山口県生まれ。大学卒業後、独学でイラストレーターに。’02年、挿絵を担当した『新しい単位』(扶桑社)30万部を超えるベストセラーとなった。放送作家・演出家で夫でもある細川徹さんとの共著『桃太郎、エステへ行く』(東京ニュース通信社)が好評発売中!

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