メイプル超合金・安藤なつ アンラッキー後藤の相方になりたかった中学時代
画像を見る 「たま」にハマっていた小学生の頃の安藤なつ

 

■10円で済むように“ベル打ち”の速さを練習

 

中学から高校にかけては、音楽やお笑いなど、自分の好きなことを追いかけていたという。

 

「ビジュアル系バンドの犬神サーカス団(現・犬神サアカス團)にハマり、はじめてのオールナイトライブを体験。中学生だったので、『このライブだけは行かせてください』と親に頼み込んだんです。定時制高校に入学してからは、あるバンドのローディー(アーティストの楽器を管理するスタッフ)として働いていました」

 

ライブではお笑い芸人とつながることもできた。そして、自身もお笑いライブに参加するように。そんな時代に、仲間との連絡に使っていたのがポケベルだった。

 

「ドコモのセンティーという人気機種を持っていました。数字だけしか受信できず『14106(アイシテル)』みたいな語呂合わせがはやったのは私たちより少し上の世代で、文字メッセージを受信できるタイプでした。でも、入力の仕方が独特で、五十音に対応した2桁の数字で文字を送るんです。1行目の1文字目の『あ』は『11』、2行目の5文字目である『こ』だったら『25』というように」

 

こうした“ベル打ち”の速さも競い合っていた。

 

「家の電話がダイヤル式だったので、公衆電話を使わないとダメ。お気に入りのテレカに穴を開けるのは嫌だったけど、使わなきゃベルが打てないという葛藤がありました。でも、チェッカーズのテレカは、どうしても使えなくて……。時間がかかるとテレフォンカードの残高が減ってしまうので、10円で済むように気合を入れて早打ちの練習をしました。それに、当時は公衆電話がめちゃくちゃ混んでいたんです。後ろに行列ができていると、焦って打ち間違えたりすることも。一文字打ち間違えただけでも、電話を切って最初からやり直すしかない。すぐに打ち終わったときは、“速いっしょ”とドヤ顔で電話ボックスから出ていました」

 

そこまでの努力をしながら、送るメッセージといえば『イマナニシテル?』というようなたわいもないことばかり。でも、どんな用件でもベルが鳴るとうれしいし、誰からだろうと期待して画面を見てしまった。

 

「遊ぶときやライブの待ち合わせなど、人と人がつながれる手段。ポケベルのおかげで、行動範囲が広がりました」

 

お笑い芸人と知り合い、自身も芸人の道へ。

 

「流れ流れて現在のサンミュージックに所属しました。うまくいかずにやめようと思ったときも、カンニング竹山さんが『やめることはないと思うよ』と言ってくれて、今に至るんです」

 

ポケベルは、安藤さんの世界を一気に広げてくれた魔法の道具だったのだ。

 

【PROFILE】
安藤なつ
’81年、東京都生まれ。’12年にカズレーザーとのお笑いコンビ、メイプル超合金を結成。’15年のM-1グランプリで決勝に進出するとテレビ出演が急増、多くのバラエティ番組で活躍する。20代のころから介護職の経験があり、’23年には介護福祉士の資格を取得した

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