■子どもから届いた手紙に《やる気がありませんでしたね》ーー。挫折と転機の『夢で逢えたら』
まさに公私共に順調すぎるほど順調。’87年に『笑っていいとも!』のレギュラー出演を果たす直前には、ラジオ番組でディレクターを務めていた男性と結婚。
「私はわりと張り切ったり、落ち込んだり、すごく波がある性格なので、夫のように穏やかな人が合うんでしょうね。『デビューしたてなのに、もう結婚しているのか』って面白がられました」
実家に帰ってこいと電話してきた両親も、娘が結婚したうえ、『笑っていいとも!』に出演したことで、何も言わなくなった。
「幼いころから“女の子がお笑いなんて”という両親でしたが、手のひらを返したように応援してくれるようになりました(笑)」
まもなく妊娠したミチコは、おなかが大きくなっても番組への出演を続けていた。
「冗談でおなかを押さえて『うっ、生まれる!』って言うと、みんなびくって驚いて笑うんです。タモリさんにもかわいがられたし“すごいな、自分。ここまで上り詰めた”って、すっかり天狗になっていました」
こうして長く伸びた鼻をへし折ったのは、若き日のダウンタウンやウッチャンナンチャンが出演した、’80年代を代表するバラエティ番組『夢で逢えたら』(フジテレビ系)だ。
「チヤホヤされていただけのサブカル少女が、お笑い猛獣の檻の中に放り込まれたような感じ。私は今も昔も、事前にネタをしっかり作り上げるスタイルですが、あの番組ではバンバン、アドリブが飛んでくるんです。その応酬に適応できず“今日も一言もしゃべれなかった”って落ち込む日々でした」
収録の日は胃が痛くなるし、スタジオに行く足も重くなった。
「ある日、私が部屋に入るとスタッフがパッと何かを隠したんです。トイレに行く隙に隠したものを見ると、子供の手紙で《清水ミチコさんは、今日もやる気がありませんでしたね》と書かれていました。子供にも見抜かれてると思うと、立ち直れませんでした」
夫も、当時を振り返る。
「みんなの輪の中に入って、何か言うんですが、声が小さくて聞こえないんです。それで隣の人が、妻と同じことを大きな声で言うと、すごくウケる。面白いことは思いついているのに、自信がないせいで伝わらないようでした」
そんなとき、ミチコは試行錯誤して新しいキャラクターを生み出したことで、少しずつ自信を取り戻せたという。
「後ろ姿は美人だけど、振り向くとそうではない。さらに性格も悪かったら面白いんじゃないかと誕生したのが、伊集院みどりというキャラ。控えめな芸風でしたが、バンバン前に出る芸風にも挑戦すると、すごいウケたんです」
豪華メンバーのなかでも突出した人気を誇るキャラに成長したことで、失いかけた自信を取り戻したミチコは、ますます多忙を極めることになる。
「娘が幼いときは、私がお化粧をすると仕事に行くんだとわかって、泣かれました。でも、性格は夫に似て穏やかで、親を困らせるようなことはありませんでした」
娘が小学校3年生のときの三者面談でのことだ。なぜか担任が「あとはお母さんと話があるから」と、娘だけを最初に部屋から出してしまった。
「それで私に『どうやったら、あんないい子に育つんですか?』って聞かれて。それくらい先生の言うことをしっかりと聞いてたみたいなんですが、私としては“いい子ぶっている”と周囲から反発されないか心配なくらい。『勉強しなさい』と言っても『もうやった』という感じだったので、お母さんぶったことを、もっと言いたかったくらいですね(笑)」
そんな“できた娘”には、新ネタも披露。
「ネタを書いたり練習するところを見られるのは恥ずかしいので、部屋のドアに鍵をかけているんですが、完成したネタは娘や夫に見てもらうんです。反応がよければテレビやライブで使いますが、悪ければ修正。私にとって、最初のお客さんなんですね」
うして、モノマネのレパートリーも増え続けたのだ。