■東日本大震災を機に元妻と会話。「ちゃんとやらなあかんねんな」
その3年後、2011年3月11日、東日本大震災が発生した。彼の人生も新たな局面を迎えることになる。
「気になって息子に電話したら元奥さんが電話に出たんです」
岡部は離婚後、息子とは時折会ってはいたが、元妻との交流は一切途絶えていた。
「だから、間違い電話をかけてしまったと思ったくらいです」
受話器の向こうから元妻は「大丈夫?」とまず彼を気遣ってこう続けた。
「離婚をして、養育費を払わなくなる人が多いのに、ずっと払ってくれてありがとう。感謝してる」
役者だけでは食えずバイトを掛け持ちしながらも、岡部は離婚時の約束を守り、毎月、養育費を払い続けていた。
元妻とは、久々の会話だった。
「そんなん言うなら、ちょっと甘えて『来月から安くしてくれとか言うぞ!』と冗談言えて(笑)。
それからまた、元奥さんにも会うようになったんです。だから、ふざけたような生活をしてても『誠意』は大事で、ちゃんとやらなあかんねんなって思いました」
当時、月収20万円を稼げればいいほうだったという彼に失礼ながら養育費の額を聞くと……。
「毎月7万~8万円払ってましたよ(苦笑)。借金もしてましたし、みんなに助けてもらいました」
離婚した母子家庭で、養育費を受給している世帯は、28.1%しかない(「令和3年度全国ひとり親世帯等調査結果報告」)。
“面白い”を追求してバイトで稼ぎながら、岡部が守った誠意とおとこ気を、元妻はしっかり感じ取っていたのだろう。
「それからは定期連絡をするし、和歌山に戻ったときに元奥さんに許されて、家にも入れるようになりました。息子は息子で戸惑ったみたいです。説明せんままで、元奥さんの家に突然行くようになってるから(笑)」
6歳で父と離れた息子は、中学時代、やんちゃな時期があった。当時の息子の言動について「それ、本当におもろいんか? おもろかったら、ええんちゃうん」と諭したこともあったという。
大震災の翌年、40歳を迎え事務所も移籍すると、大きな劇場の芝居にも出演するようになった。
「縁がつながっていったんです。前の事務所の社長が今の事務所を紹介してくれて。また僕がこれまでやってきたことが合致したタイミングがありましたね」
’04年から続けている城山羊の会が、ドラマや映画の製作陣、役者たちの間で「面白い」と評判になり、劇場に足を運ぶ人が増えた。そこから岡部に声がかかる機会が増えていった。
「売れることはもう諦めてました。だから売れるより誰が見ても『あの人面白いね』と言われる人になりたいと意識していました」
不思議なことに“売れる”“目立つ”ことを諦めたことで、仕事が増えていった。人との縁を大事にして、深浦さんに教わった“普通にちゃんと生きて”声がかかった作品一つ一つを地道に真摯に誠実に積み上げて、俳優一本で生活できるようになったのだ。
人生って“面白い”──。ちなみに、一部ネット情報では岡部が《元妻と再婚》と書かれているが「それは違う」と断言する。
「彼女は美容室を経営して、夢をかなえてるし、僕は僕の道を歩んでいます。いい関係ですが、再婚はしていないと、太字で書いてください(笑)」
別々の道を歩みながらも父母として絆を結び直し、私生活では新たな“家族の再生”を果たした。
一方、俳優業では『エルピス』など、アラフィフで個性派俳優としての地位を確立。“翼”を得た今、まさに『虎に翼』でヒロイン寅子の父として、お茶の間の朝の顔になったのだ。