「明菜は何かの話をした時に、『あんまり出過ぎちゃうと飽きられちゃう』というようなことを言っていました。あと、例えば『自分の歌の終わりがフェードアウトで終わるのは、やっぱりなんかちょっと違う』的な感じで言っていたりとか。本当にプロ意識が強いと感じていました」
そう語るのは北原佐和子(60)。中森明菜(59)や小泉今日子(58)らと同期の「花の82年デビュー組」だ。北原は高校卒業からのデビューなので“少し年上”だった。
「当時はプロモーションのため、みんなでバス移動したり、泊まる先は同じホテルだったりしたので、いろいろと話していましたね。あと、レコードは結構交換していました。みんなで新しいのが出ると交換したりしていましたが、明菜は交換しようとすると、『買って』っていう感じで言われたみたいなことは覚えています(笑)。
私の場合は、もともと芸能界に興味があったわけではなくて、大人たちにお膳立てされて、たまたま流れでなってしまったっていう感じでしたけど、明菜なんかは、やっぱりそうじゃなかったなっていう風に思いますよね」
ファッション誌『mcシスター』にモデルとして応募。掲載されたことがきっかけでスカウトされ芸能界デビューしたが――。
「当時、ボーイフレンドがいたんですが、事務所から別れるように言われ、お別れすることにしました。実際今考えると、もっと要領よく生きられたかな…という風に思うんですけどね(苦笑)。妙に正直だったかもしれません」
その後、女優へと転身。さまざまな人気ドラマ、映画に出演する。
「女優として活動するようになると、隙間時間が増えたんですよね。連続ドラマの撮影が入っている間は休みもなかなか取れないのですが、それが終わったとたん、今度は数カ月にわたって仕事がないこともあります。私は、やることがない状態が続くと気持ちが不安定になりやすくて、それがとてもつらかったんです。自分が芸能界、あるいは社会から必要とされてないのかな……なんて考えてしまうのが嫌でした。
日本舞踊や三味線など、女優の仕事に生かせるお稽古事に挑戦したり、乗馬の練習に行ったりもしていました。それでも、心の中にぽっかりと空いた穴のようなものがふさがることがなくて。『何か違う』という思いを抱えていました。
そうして30代を迎え、その先の人生を考えるようになりました。自分がこれまで歩いてきた道を振り返ってみた時に、いくつかの記憶が鮮明に浮かび上がってきたんです。それが、どれも福祉につながることばかりでした。特に印象が強かったのは、小学生くらいから続く思い出です。その頃は、夕方になると駅まで父を迎えに行っていました。父を待つ間、ご高齢だったり、視覚障害があったりする方が、券売機の前で戸惑っているのを見かけることが度々あったのですが、幼い私は勇気を持って声をかけることができませんでした。そんな日はいつも、家に向かう足取りが重かったんです。
大人になり、大雨の日に車を運転していたら、大通りでタクシーを探す四肢まひの男性を見かけたんです。手にもまひがあり、傘を差していたけれどずぶぬれでした。子どもの頃の記憶がよみがえって、『乗ってください』と声をかけました。
その方は手伝いはいらないとおっしゃり、シートや付近の金網につかまりながら、自力で車を乗り降りしていました。発話も不自由でしたが、週に2~3日、電車を乗り継いで仕事に行っていることなどを一生懸命話してくださったんです。ハンディキャップを抱えながら自分の足で立とうとするたくましさに、強く心を動かされました。私は10代でデビューして、大人たちがお膳立てしてくれたところに立って、仕事をしてきたのに、と。
そんな記憶が、10年以上もたってから鮮やかによみがえってきたんです。これは何かのメッセージなんじゃないかと感じました」