■バンド活動、ラジオ出演……「本当に時間がいくらあっても足りないです」
「夫は朝7時には家を出るのです。最初は起きてお見送りしていたのですが……、最近は夫が朝忙しいのに、私のためにスムージーを作ってくれています(笑)。夫は『寝るのも女優の仕事の一つだから』と理解してくれています。でも晩ご飯は必ず私が作って、いっしょに食べています」
週2日は東京に滞在し、芸能の仕事をする。浜松にいる間はセレクトショップの運営もあり、時々一日店長としてカフェのキッチンに立つこともある。ほかにも家庭菜園に挑戦したり、全国を飛び回って農業の勉強会に参加したり……。
「突然がんになった母は『やりたいことができたときに、病気になってしまうもの』と言っていたので、健康にも気をつけています。ふだんの食事は味噌汁、漬物、玄米ご飯の“素食”。東京に行くときも、うちで炊いた玄米ご飯だけは必ず持っていきます」
母が亡くなった年齢の57歳を超えてからは、“おまけの人生”と考え、自分自身が楽しみ、その姿を見て人にも喜んでもらいたいと思っている。
「浜松でバンド活動を始めました。3月の単独ライブでは、1500人のお客さんが来てくださいました。ライブは秋や冬にも開催する予定です。夫の会社の朝礼にも時々参加します。せっかくスーツも買ってもらったので、今後も定期的に会社に顔を出すつもりです。
FM Haro!というローカル局で『熊谷真実のリノベーション☆ライフ』というラジオ番組も始まりました。本当に時間がいくらあっても足りないくらい忙しいので、たまにはゆっくり過ごしたいと思っています」
今後も自分が夢中になれることに、何足ものわらじを履いて挑戦していく。
「妹は40代だったころの私については『ママが亡くなったトラウマで、Aさんに心酔しちゃったんだろうね』って言っていました。そして『いまは高校生のころの真実ちゃんに戻ったね』って喜んでくれています」
愛読書の『少女パレアナ』のように、ネガティブな出来事があっても喜びを見つけることで、前進してきた64年。これからも“熊谷真実らしさ”を貫いて生きていく。
(取材・文:小野建史/撮影協力:(R)EANDY)