■授業をサボって、ワル仲間と学校の廊下をステージに夢中で踊り続けた
「ワル仲間がヒップホップダンスを廊下で踊ってくれたのを見て『おもしろそう』と思ったんです」
14歳のDAIKIは米LAのサウスセントラル(現・サウスロサンゼルス)で生まれたクランプというダンスにのめり込んだ。
「もともとクランプは、ギャングばかりの街で、今日の友達が明日には死んでいるような環境に対する怒りを表現するダンス。地面を踏みならすという激しい動きが特徴で、僕自身の生きづらさややりたいこともできない感情を伝えられるかもしれないと感じたんです」
身体能力に自信があったDAIKIにはやりたいスポーツがたくさんあった。ほかの子どもたちなら当たり前にチャレンジできることだが、施設側から断られることも少なくなかった。それ以前に、医師からは頭部に負荷がかかる競技を止められていた。
「僕みたいな特性のある子どもを受け入れたことがないからといつも断られました。オカンは『うちの子はできます』と食い下がるのですが、僕は切り替えが早かったので『こんな人のもとでやりたくないし』とハッキリ言っていました。すると母親は『じゃあ、帰るか』と。その繰り返しでした」
つねに窮屈さを感じていたが、ダンスだけは違った。授業をサボって、廊下というステージで夢中に踊り続けていた。
高校でも独学でダンスを続けながら、文化祭で400人の観衆の前で踊ったこともあった。
「向けられている視線の質が変わったと思いました。ダンスをすることで、呼吸する以上に自由になれている気がしました」
大学進学後、ある先生との出会いが彼の人生を大きく変えた。ダンスや身体表現の授業を教養課程で担当していた大橋さつき教授だ。経験者・未経験者問わず授業に参加した学生を集めて、全国から強豪が集まる「全日本高校・大学ダンスフェスティバル(神戸)」を目指す群舞創作を行ってきた。大橋教授が語る。
「ダンスフィスティバルに誘ったとき、彼が迷惑をかけるからと断ったことに『迷惑になるって考えていることが、迷惑だ』と私が言ったようですが、あまり覚えていないんです。彼は迷惑をかける前に“迷惑をかけるけどいいですよね”と免罪符を得ようとしたのかもしれません。それを私が『一緒に踊る仲間に迷惑をかけなさいよ』とはね返したものだから、背中を押してくれたと思ったのかもしれませんね」
仲間に“迷惑”をかけ、ぶつかり合う過程で変化が生まれた。
「みんながワーッと渦を巻きながら走り回るシーンがあるのですが、みんなが夢中になるとぶつかることも。それは彼にとっては命に関わることだから、練習中から大ちゃんも懸命に、どうしたらできるかを訴えていたし、みんなとも話し合っていた。本番に向かって自分の思いを表現していくうちに大ちゃんには、ほかの学生への信頼感や安心感も芽生えた。“私”ではできない“私たち”という感覚も」
全国大会でDAIKIらのチームは大賞を受賞した。だが、その舞台裏では事件が起きていた。
「大ちゃんは、コンクールの本番直前に、またひとりぼっちになったんです。怖くなったのだと思う。チームで一生懸命やってきて、自分一人に注目が集まって、自分が失敗したらすごく目立つんだというようなこととか、みんなの作品がダメになるんじゃないかとか、いろいろなものが押し寄せてきたんだと思う。あのときは本当に、もう、子どもみたいに、私のそばでしがみついていました」
この作品名は『訣別』。DAIKIが「ひとり」から、そして「弱さ」から決別した瞬間だった。DAIKIは当時をこう振り返る。
「孤独な意味の『ひとり』から決別したと思います。それまではバリアというか、何と闘っているかわからないけど、闘うこと以外、自分らしさがわかりませんでした。それまで自分が抱いていた孤独感も人にシェアするものではないと考えていました。人に話しても意味がないとさえ思っていました。でも仲間と出会って、そんな話もシェアしていいことに気づいたんです」