■モノをのみ込むときに違和感が……。梅核気との診断でスープばかり作った
体調に異変があらわれたのは、’21年12月ごろ。だが、自分が大病するなど考えていなかった。
「当時は体力作りや健康的な食生活を心がけていて、テレビや書籍などでも健康について発信していましたから。だから、最初の異変となったモノをのみ込むときの違和感も“何かできものができているのかな”“しばらくすれば治る”程度に思っていたんです」
だが、年が明けても違和感はなくならず、クリニックで検査することに。ただ、異変があらわれる直前に、毎年受けている人間ドックで内視鏡を含め、徹底的に検査しており、結果も「異常なし」だったため、改めて内視鏡検査をすることもしなかった。
「結果的には梅核気といって、梅干しの種があるような“感覚”になるという病気だと診断されました。自律神経の乱れもあるのかと思って、針や整体など東洋医学の施術を受けたりしたんです」
しかし、5カ月ほど経過しても症状は悪化の一途で、固形物をのみ込むことも困難になった。
「当時のブログを見返すと、スープばかり作っています。水分しか喉を通らないような状況だったんですね」
6月に入り、食事もままならなくなり、ようやく内視鏡検査をしたのだった。
「検査後、主治医は紹介状を手に『大きな病院で精密検査を受けてください』としか言わないので、きっとよくない検査結果だと予想できました」
紹介先の病院で診断結果を聞く際、内視鏡の画像を映し出すモニターが目に入った。
「食道を塞ぐほどの大きな異物があったので『これ、がんですね?』と聞くと、先生も『そうですね』と正直に答えてくださったんです。頭頸部(脳と目を除く首から上すべて)にできたステージ3の食道がんで、4cmほどの大きいものも含め、5つもの重複がんが認められました」
テレビドラマでは、医師の告知を受けると頭が真っ白になり、どうやって家に帰ったのか思い出せなくなる様子が描かれたりするものだが、秋野は冷静に受け止められたという。
「無症状でたまたま見つかったなら別の感覚だったかもしれませんが、何しろ苦しんでいた喉の詰まりの原因がわかったことで、気持ちのうえで納得できたんでしょう」
翌日、さらにがん専門の病院に場所を移し、一人娘の夏子さん(30)と、当時マネージャーを務めていた姪の高岡さち子さんの同席のもと、治療方針を決めることに。治療法は、外科手術と、抗がん剤や放射線治療による化学療法の2つに大別されるという。手術だと直接がんを切除するので、化学療法に比べ予後はいいとされる。
「とはいえ、食道がんの手術は難しく、10時間ほどかかるもの。さらに私のがんは声帯の近くにできていたため、声も失うことになるとのことでした」
それは、女優、タレントの仕事を捨てることになる。それだけではない。
「食道を摘出して、胃をのばして喉とつなぐことになります。胃に食道の代わりはできないので、うまくのみ込めなくなったり、食べることで血糖値が乱高下する“ダンピング”という症状に見舞われることもあるそうです」
また喉に穴が開いた状態になるため、お風呂に首までつかれないなど、QOL(生活の質)は下がることに。
一方の抗がん剤と放射線治療を組み合わせた化学療法を選択すると、声帯や食道を温存できるが、手術に比べ予後が悪くなる。
「私が闘うステージ3の食道がんは、5年生存率が30%ほどだそうですが、化学療法を選んだ場合、手術と比べて5%ほど生存率が下がるといいます。さらに、抗がん剤は人によっては効かないケースもあるみたいで……」
その場合、化学療法後に手術をすることになるが、化学療法の影響によって、合併症リスクが高まるという。
「手術と化学療法のメリット、デメリットを考えて、私は、化学療法を選びました。
食べること、しゃべることを失い生きるより、たとえ半分しか生きられなくても、人生の楽しみを失いたくなかったんです」
秋野は一緒に説明を聞いていた娘と姪に「どう思う?」と聞いてみた。泣きながら手術を勧めた高岡さんは当時をこう振り返る。
「秋野は仕事への影響を考えていました。たしかにマネージャーの立場としては化学療法を選びますが、私は姪として説明を聞いていたので……。娘は独立しているし、秋野も仕事優先でなくてもいい年齢ですので、手術を選んで長く生きてほしかったんです」
しかし娘の夏子さんは「私には決められない。ママの人生だし、ママが決めたことを応援する」と答えた。秋野が続ける。
「それが私にとっては心強かったんです。泣いている姪には『人間、誰でもいずれは死ぬんだから、自分らしく生きるほうを選びたい。手術しない決断を理解してほしい』と伝えました」
この決断ができたのは、これまでに培われた秋野の死生観が関係している。