■孫を見ると、幼稚園に通う姿を見たいし、小学校の卒業式も見たくなる
「昨年5月から同居している娘夫婦は、生まれたばかりの孫の世話で手いっぱい。だから私は“メシ炊きババア”で、昼食と夕食を作っては運んでいます(笑)」
日常生活を明るく語る一方、死をリアルに感じ、毎年12月にはエンディングノートを更新している。
「家族に迷惑をかけずに死にたいと思っていても、必ず迷惑はかけるはず。少しでも負担を減らそうと、金融口座やつみたてNISA口座、加入しているサブスクなどの情報を記しているんですね。『私が死んだら、まずこれを見ろ』と、金庫にしまっているんです」
抗がん剤が奏功したとはいえ、副作用にも付き合っていかなければならない。
「抗がん剤治療が終わって半年ほどしてから、くるぶしから下にしびれが出るように。1年半前からは“シャー”っと耳鳴りがあります」
今年4月には、内視鏡手術も行っている。
「抗がん剤ではたたききれなかった、転移ではない異時性といわれる隠れた病変“小鬼”が見つかって、切除したんです」
今後もがんや、その副作用と共存していくことになる。
「がんサバイバーということで、何があるかわかりません。そのため、穴があけられない舞台の仕事のチャンスが回ってこないのが残念ではありますが……。でも、今後も前向きに、少しでもがん闘病中の人や、がんサバイバーの人を勇気づけるために、自らの闘病を発信していきたいですね」
講演活動や絵画などの創作活動にも力を入れ、個展では作品の売り上げの一部をがん研究などのために寄付している。
「孫の育児が少し落ち着いたら、一時中断している陶芸の勉強も再開して、来年の個展に向けて作品を作っていこうと考えているんです。やりたいことを実現していきたいんです」
2年後の話をする際、つい「そのとき生きていないかも」と口走ってしまうこともあるが、孫の誕生で生きることへの欲も出てきた。
「すごく長生きにこだわっているわけではないんですが、孫を見ると、幼稚園に通う姿を見たくなるし、小学校の卒業式も見たくなります。さすがに成人式まではキツいかなって思うけどね」
新たな命をモチベーションにして、がんと共存しながらも暢気に人生を楽しみ続ける──。
(取材・文:小野建史)