「なぜ父と夫婦関係を続けるの?」内田也哉子さんの問いに母・樹木希林さんが示した“覚悟”
画像を見る (撮影:高野広美)

 

■「なぜ、ああいう父と夫婦関係を続けるのか? なぜ崇めるのか?」と問いただした

 

「家に帰ってこない父に、一筋に仕え、わき目も振らず仕事して、生計を立ててきた母でした。でも父の悪口を、母は一切口にしたことがありませんでした」

 

1976年2月11日、東京都生まれの也哉子さんは“ほぼ女手ひとつ”で母・樹木希林さんに育てられた。

 

希林さんが内田裕也さんと結婚したのは、1973年のこと。

 

だが希林さんが《(一緒に住んだ期間は正味)3カ月はなかったわねぇ》(著書『この世を生き切る醍醐味』朝日新書より)と振り返るとおり、也哉子さんを出産する1カ月前から別居が始まっていた。

 

物心つくころの也哉子さんには、家に父がいないのが日常だった。

 

「年に1~2回会う程度」の父だったが、たまに、酔って明け方に押しかけてくることがあった。

 

怒鳴り散らし、家具を壊す父の姿は幼い娘のトラウマになったが、それでも希林さんは裕也さんを、「尊敬に値する人」だと娘に言い聞かせていたという。

 

「ところが、小学6年生のときに友達から、週刊誌を見せられて、『也哉子のお母さんって、別の人と結婚してたんだね』と言われた。

 

すごいショックでした。あんなに父に貞淑だった母が再婚だとは、夢にも思いませんでしたから」

 

帰宅した母に問うと、

 

「そうよ、言ってなかったっけ?」

 

希林さんは21歳のときに俳優・岸田森さん(故人)と結婚したが、4年足らずで破局し、その5年後に裕也さんと再婚していたのだ。

 

その事実を知ると、母への疑問は余計に膨らんでいった。

 

「なぜ、ああいう父と夫婦関係を続けるのか? なぜ崇めるのか?」

 

思春期になり、反発心も手伝って問いただすと、母は答えた。

 

「ごめんね、あなたには苦労をかけるけれど、私の人生には必要な存在なんだ……」

 

希林さんは、最初の結婚につまずいたとき、両親、特に父の悲しみようを見て「万が一、再婚するなら、どんな試練があろうと添い遂げよう」と覚悟したという。

 

一方で、地に足をつけた生活者としての母、他方では、180度違う男性との婚姻を続ける母。

 

一見、矛盾したような、対極的な両面を母に見ることで、也哉子さんは「ものの捉え方」を覚えて、成長していった。

 

次ページ >「結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください」

【関連画像】

関連カテゴリー: