■はじめての食事の席で「結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください」と言われた
「このシューズ、本木さんと兼用なんですよ」
也哉子さんが足元に目をやって、つぶやいた。ユニークなラウンドトゥの革靴が、夫婦の空気感を醸している。
也哉子さんが夫・本木雅弘さんと出会ったのは中学3年生のとき。
父が企画・脚本・主演した映画『魚からダイオキシン!!』(1992年)の関係者の食事会に呼ばれ、共演の本木さんを紹介されたのだ。
当時の彼はアイドルから脱却し、本格派の俳優として頭角を現し始めたころだった。
「私がスイスの高校に留学してからは、手紙をやり取りするようになりました。そして一時帰国した高2の夏休みに、はじめて2人で食事に出かけたんです」
そこで本木さんから「結婚」の2文字がいきなり出たという。
「いますぐじゃなくても、いつか結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください」
文通していたとはいえ、17歳の也哉子さんには寝耳に水のこと。
「一気に『結婚』まで話が飛躍したことに、ただ驚いていました。結婚という選択を、もっともしなさそうな人に見えていましたし」
それから2年後の1995年、フランスの大学に通っていた19歳のとき、29歳の本木さんと結婚。
10代での結婚には母の“すすめ”も大きかったようだ。
「本木さんと仲よくさせていただいていると知った母は『まず結婚してみて、家庭を築いてみるのも面白いわね』と言い出しました。
『勉強は後からでもできる。もし結婚がダメでも、お互い次のステージに進めばいいでしょ』と」
かたや、本木さんには「本気で結婚を考えるなら内田家に入ってもらえない?」と母は相談。
「本木さんの実家は16代も続くお米農家です。400年も前のお墓を守り、その土地で自然に耳を傾け、耕し、食卓に糧を届けてきた。
母は『そんなルーツを持つ農家のご子孫なら』と最大限の敬意を示していましたが、内田家も絶やしたくなく、本木さんが内田家に入ってくれることになりました」
ところが若夫婦は、結婚半年後のアメリカへの新婚旅行で「離婚だ」と大喧嘩。別々に帰国後に、也哉子さんの妊娠がわかった。
「そこで『とりあえず一回立て直しましょう』となりました。
『誕生する命を迎え入れて、それでもダメなら考えましょう』と」
以後「年に2度ほど」は大喧嘩が繰り広げられてきたそうだ。
「私は父と暮らした経験がなく、はじめてお付き合いした本木さんと結婚したので、『男性が家庭にいる状況』もはじめてでした。
『どこまで甘えていいか』試す感じで喧嘩を吹っ掛けていたんです」
そんな娘夫婦に、二世帯住宅で暮らす母のスタンスは……。
「本木さんの味方でしたね。彼に『本当に終わりに(=離婚)していいのよ。それが也哉子の学びにもなるから』と言っていました」
そうしてなんとなくクッションとなっていた希林さんは、娘夫婦の“かすがい”だったのだろう。
新婚旅行後に妊娠がわかって、1997年に出産したのが長男・UTA(ウタ)さん(27)。190cmの長身で、現在はモデルとして国内外で活躍している。
1999年に出産した長女・伽羅(きゃら)さん(25)は、2015年に祖母の希林さんが主演した映画『あん』に出演している。現在はフランスの大学院に進み、国際コミュニケーションを学ぶ。
そして2010年に、次男の玄莵(げんと)くん(14)を出産。彼はいま中学生だが、アーティスティックな才能を発揮し、也哉子さんの著書の挿絵も手掛けている。
「夫婦喧嘩しながら『これじゃあ無理だ』と思うこともありました。
でも、続けていった先にしか見えないものもあるんじゃないかと、子育てしながら、夫婦で合わない部分は均してきたんです」
母の生き方に見てきた両極性が、也哉子さんに無意識に刷り込まれ、それが結婚生活の耐性となったのかもしれない。
「そしたら銀婚式を過ぎて、来年(2025年)は結婚30年なんですね。いまも、お互いに興味を持ち続けている部分はあるし、最後にはどんな景色が見えるのか、楽しみでもあります」
(取材・文:鈴木利宗)
【後編】内田也哉子さん アカデミー賞受賞しても女優の道へ進まなかった理由へ続く