中山美穂さん「“息子に頑張っている背中を見せたい”と必死で仕事を」共演者&育ての親が今だから語る「根性のシャイニングスター」伝説
画像を見る 昨年4月、初代ディレクター・福住朗さんと、ライブ会場の楽屋で撮影した写真「まだそばにいる気がする」(福住さん)

 

■「美穂はすごく努力していた。だから、みんなが力になりたくなった」(木村)

 

「LINEではやり取りしていたけど、私は岡山に住んでいるので、なかなか会えなかった。去年、広島でのライブに誘ってくれて、数年ぶりに顔を見ました。1本のステージに完全燃焼していた。終わった後、『頑張ってるね!』と声を掛けると、満面の笑みを浮かべていた。あの表情が忘れられません。『今度、ご飯食べようね』と言ったら、『そうしよう!』って……。あれが、この世で最後の会話でした」

 

歌手・中山美穂の育ての親である福住さんは涙声になった。

 

「彼女は、本当にファンの人たちを大切にしていました。『勇気を与えたい』なんて絶対に言わない。『みなさんが喜んでくれたら、私も幸せです』という順番で話す。『私が幸せだから、みなさんも幸せでしょ』じゃないんだわ。おこがましいと思うんだろうね」

 

盟友の木村一八も、いまだに戸惑いを隠せない。

 

「美穂が亡くなったと聞いて、『毎度~』で彼女の兄貴役だった高橋和也と電話で2時間くらい話しましたよ。僕にとっては幼なじみが死んだようなものだから……。彼女は、アイドルっぽく振る舞えるような子じゃない。野性味に溢れ、負けん気が強い性格なんです。だから、大人の要求に応えられない自分が嫌で、頑張ったんだと思う。芸能人って求められることを肌で感じて、表現できる感性が必要。美穂はそれを持っていた。そして、すごく努力していた。だから、みんなが力になりたくなった」

 

数々の大ヒット作は、美穂さんの根性と愛情、類いまれな感性が引き寄せたのだ。杏里は言う。

 

「美穂さんの歌声と笑顔は、多くの人の心に深く刻まれています。あなたの作品は、これからも愛され続けるでしょう。どうぞ安らかに眠ってください」

 

唐突な別れだった。さよならと一言だけでも告げたかった。でも目をつぶれば、いつだってシャイニングスター・美穂さんはほほ笑んでくれる。数え切れないほどの記憶とともに――。

 

(取材:シリーズ人間班、岡野誠/文:岡野誠)

 

画像ページ >【写真あり】『毎度~』で女優デビュ ―した翌年の16歳の誕生日パーティでの美穂さん(他9枚)

【関連画像】

関連カテゴリー: