■日々、トラブル処理に追われ日々
こうして’93年、芸能プロダクション「タイタン」が設立された。
それからトラブルが巻き起こるたびに、光代さんは生徒指導のように対処してきた。なかでも記憶に新しいのが、今年の元日に生放送された『新春!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)での太田さんの「日枝出てこい!」発言。
「忖度せず大暴れするのは爆笑問題らしくていいんです。ネタに関してはいっさい口出ししません。ただ、『日枝さん』と言ってほしい。失礼な言動には注意します」
しっかり者の光代さんだが、’22年、タイタン所属のウエストランドが『M‐1グランプリ』(テレビ朝日系)で優勝した際には失態も……。
「この年のM‐1は敗者復活から家のテレビで見ていました。いよいよ決勝になっても、くじで決まるウエストランドの出番がなかなかこなくて。その間、ずっとお酒が飲みたいのを我慢してたんです。
もういいかな、と飲み始めたらあっという間にワインを空けてしまって……。ウエストランドが1本目で3位に滑り込んだあたりまでは記憶があるんですが、そこから眠ってしまったんです。電話が鳴って起きて出たら『おめでとうございます!』って言われて、テレビを見たらウエストランドがトロフィーを抱いていて……。でもこれは夢だと思って、また寝ました(笑)。あとで帰宅した太田に『ウエストランドよかったな』と言われて、『え、本当に優勝したの?』って。社長なのにテレビを見ていなかったことに驚かれ、すごく怪訝な顔をされました」
■夫婦で老後にやってみたい夢
還暦を過ぎ、誰に社長を引き継ぐべきなのかを考えているという。
「まだ全然社長としてやりきれてないんですけど、起立性低血圧症を発症して倒れた際、鎖骨の遠位端骨折に肋骨3本、腱板断裂まで起こしてしまった。そして今、リハビリに通っています。そういうこともあるから、次の50年、100年目指していくんだったら、私はもういないですから。そうみんなに認識しておいてもらわないと」
同時に光代さんには、夫婦でやってみたいことがあるという。
「結婚して35年、目まぐるしい日々で、夫婦でゆっくり旅行したことがないんです。太田にはずっと働いてほしいですが、『いつか船で世界一周しましょう』って言っています。船の上だったら太田もラジオが聴けないでしょ(笑)」
人気芸人と敏腕社長、同時に先生のような妻と子供っぽい夫である2人。爆笑問題が第一線で活躍を続ける陰には、光代さんの存在が不可欠だ。
旅行の話が出た際には、出会った当初、光代さんが銭湯に誘ったときのように、太田さんには「行く、行く」と、ついていってもらいたいものだ――。
(取材・文:インタビューマン山下)
【PROFILE】
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人、ライター、「山下本気うどん」プロデューサー、個人投資家、ファイナンシャルプランナーとして活動中。
画像ページ >【写真あり】今年、結婚35周年を迎えた太田光・光代夫妻(他1枚)
