「がんを隠すものにしたくなかった」アグネス・チャンさん(70)が語る“乳がん克服と前向きに生きる秘訣”
画像を見る 今年、古希を迎えたアグネスさん。「弱気はダメ」亡き母の口癖が美の秘訣(撮影:加治屋誠)

 

■情熱も応援も大きくて、本当にうれしかった

 

アグネス・チャンさんは、1955年8月20日、香港生まれ。

 

6人きょうだいの4番目に生まれた三女で、14歳のとき香港でスカウトされ、歌手デビューした。

 

「香港でのデビュー曲がヒットして、映画にも主演。『人生が変わった』と思っていたら、17歳で日本からお声がかかったんです」

 

1972年、日本デビュー曲『ひなげしの花』が大ヒット。

 

「日本で私の歌がヒットするのかどうか、想像できませんでした。でもファンの方の情熱も、応援も、思いがけないほど大きくて、本当にうれしかったんです」

 

1973年10月に発売した4枚目のシングル曲『小さな恋の物語』で、初のオリコン1位を獲得。同年大みそかには『草原の輝き』で第15回日本レコード大賞新人賞、『NHK紅白歌合戦』にも出場。

 

1973年に上智大学国際学部に入学、その後はカナダ・トロント大学に留学して、社会児童心理学を学んだ。そして1985年にマネジャーだった日本人男性と結婚、1986年に長男を出産した。

 

さらに1989年、アメリカ・スタンフォード大学教育学部博士課程に留学(1994年、教育学博士号を取得)、同年に次男を、1996年には三男を出産。1998年に、日本ユニセフ協会大使に就任している。

 

歌手として香港で、日本で大成功、そして結婚、3児の母……幸せのすべてを手に入れたアグネスさんが、思いがけないピンチに見舞われたのは、2007年のことだった。

 

「ある日、ふと右胸にかゆみを感じて、無意識に手を当てた瞬間、小さなしこりに気づいたんです」

 

同年9月、細胞診の結果「乳がん」と診断された。アグネスさん52歳、三男はまだ小学生だった。

 

「私はそのとき、がんを『隠すもの』にしたくありませんでした。悪いことをしたわけではないのだからと、公表したんです」

 

10月に手術し、その後は約2カ月間の放射線治療、さらに5年間のホルモン治療を受けた。

 

「ホルモン治療は飲み薬だけですが、私にはとてもつらい治療でした。更年期障害のような強い症状が出て、心身ともにつらかった」

 

そんな状態のアグネスさんを救ったのは、「多くの方からの励ましでした」と振り返る。

 

「あのとき病気を公表したことで、『あなたの笑顔に勇気づけられました』『私も検診に行こうと思いました』と声をかけてもらうようになりました。そんな言葉の数々に、私自身が救われたんです」

 

それが、アグネスさんを一層「前向きに生きよう!」と思わせる出来事になったのだ。いまでは乳がんを克服し、年1回の定期検診を受けるだけに。

 

そんなアグネスさんは、今年8月の70歳の誕生日に出版した最新刊『70歳、ひなげしはなぜ枯れない 心も体もしなやかでいるための45のヒント』(ワニブックス)で、今年6月に最愛の母・リタさん(享年100)をみとったことを告白した。

 

「母は認知症を発症し、闘病生活も長かったので、覚悟はできていました。入院中の晩年は特に、ゆっくり向き合う時間も持てました。

 

私が歌を歌ってあげると『もっと歌って』と言うかのように、私の手をギュッと握ってくれたんです」

 

アグネスさんのポジティブ思考は、母譲りでもあったようだ。

 

「母はどんな困難を迎えても、弱気なところを見せませんでした。私が乳がんになったときも、『絶対に治る! 弱気になったらダメだ』と」

 

「弱気になったらダメ」と口癖のように言う亡き母から「強く生きる」ことを学び、乳がんを克服して15年近くがたつ。

 

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