■長女に突き付けられたひと言――「ママと私は違う!」
そんな葛藤を抱える中、当時小学4年生だった長女から、衝撃的な言葉を投げかけられる。
「よかれと思って続けさせていた習い事や教育方針に対して、長女から『私とママは違う!』と言われたことがあって。彼女にとって、私の熱意は重荷でもあったようで、『私の好きなことと、ママの好きなことは違う』とハッキリ拒否されました。
ハッとしましたね。子どもたちには子どもたちの人生がある、と。自分の人生を子どもに重ねないで、私も自分の人生を歩かなければならない。そこから、この先の未来で、私は何を実現したいのかを具体的に考え始めました」
もう一度社会に出て働きたい――。仕事を探す中で、山本が挙げた条件は「年齢を重ねても続けられる仕事」「社会に必要とされる仕事」「子どもがいても全力で挑戦できる仕事」だった。
「せっかくやるなら、簡単な道ではなく、挑戦しがいのある仕事がしたかったんです。そう考えたときに、真っ先に浮かんだのが『弁護士』という職業。弁護士の友人から、『子どもがいてもできる』『やりがいのある仕事だよ』と話を聞いていたことが大きかったですね。あとは、私の親族が弁護士だったんです。幼いころから仕事の話を聞いて身近に感じていたし、『1日8時間、3年間勉強すれば、司法試験は誰でも合格する』って言われたことがあって。じゃあ、やるしかないじゃん! と覚悟を決めました」
その後、46歳で早稲田大学のロースクールに入学。しかし、親族から聞いた言葉ほど、現実は甘くはなかった。
「同級生は20代の若者ばかり。若くて優秀な学生たちが、1日10時間以上勉強している現実に圧倒されました。まわりの人は『人生経験が生きる』と言ってくれましたが、司法試験において年齢のメリットなんて何ひとつなかったです(笑)。
年齢を重ねていることはハンデでしかありませんでした。友人が『昨日、勉強しすぎてご飯を食べ忘れて倒れちゃったの』と言っているのを聞いて、馬力の違いに愕然としたこともあります」
さらに、3人の子どもを育てる彼女には、圧倒的に「勉強時間」が足りなかった。
「子どもが寝た後の夜と早朝、学校の送迎の待ち時間など、あらゆる自分のスキマ時間を使って勉強をしました。1日8時間が目標でしたが、やはりそうもいきません。そのぶんは土日に長めに勉強するなどして補っていました」
努力はしたものの、すぐには報われなかった。1回目、2回目の試験は不合格。特に2回目の不合格を知ったときは、「私はバカなんじゃないか」とさすがに落ち込んだという。
「心が折れかけたんですけど、すぐに切り替えました。悩んでいても、成績は上がらないじゃないですか」
■やめる選択肢がないから、続けるしかなかった
2度の不合格を経験した山本だが、司法試験を諦めようと思ったことは一度もなかったと言う。
「『〇〇ちゃんのママ』でも、『〇〇さんの妻』でもなく、“山本モナ”として社会とつながっていたい。その一念が最大のモチベーションでしたね。自分で決めたことだから、やめるという選択肢もない。やめる選択肢がなければ挑戦し続けるしかない。それだけのことでした」
そして迎えた3回目の挑戦。49歳で見事合格を掴み取った。
「合格を知ったときは、うれしいというより、とにかくホッとしましたね。家族よりも先に電話で連絡したのは、支えてくれた弁護士の友人です。落ち着いていたはずでしたが、彼女に報告をしていくうちに、気づいたら泣いていましたね。その後、家族にも報告をして。夫も子どもたちも、私が勉強している姿をずっと見ていたので、安心した様子でした」
一念発起してから三度目の正直での難関試験合格。誰の代わりでもない、自分自身の足で再び歩き出すための準備は整った。
【後編】「表舞台に戻るつもりは一切ない」司法試験合格の山本モナ フリーアナやめて挑む「弁護士の覚悟」へ続く
画像ページ >【写真あり】司法試験挑戦中は「掃除と片づけは諦めました」と話す山本モナ(他1枚)
