「今も亡くなったとは思ってません」林家三平 逝去から半年…母・海老名香葉子さんから「受け継いだ2つのもの」
画像を見る 香葉子さんが亡くなる1年半ほど前に訪れた公園で。最後まで家族以外には弱っていく姿を見せなかった(写真:本人提供)

 

■母の思いを受け継ぎ農業と国策落語に挑戦

 

三平さんは大学在学中に、林家一門である林家こん平師匠に弟子入りをする。噺家になると決めた三平さんに、香葉子さんはある助言をしたという。

 

「あなたは趣味を生かしなさい、と言われました。落語一本でやっていても、将来、苦労することを見越したんだと思います。だから、F1観戦や海外旅行など、趣味に対しては応援してくれました」

 

三平さんは、落語やタレント活動の傍ら、2年前から那須高原で野菜を育てている。農業をすすめてくれたも香葉子さんだった。

 

「じつは、初代三平も戦争中は、勤労奉仕として畑仕事を手伝っていたそうです。それで、『晩年は香葉子と2人で農業やりたいね』って言っていたらしいんですよ。

 

そんな両親の思いを受け継ぎ、去年は24種類の野菜を作りました。太陽の下で土を触ると心が元気になる。そういうことも、オフクロは伝えたかったんじゃないかな」

 

もう一つ、三平さんは受け継いだものがある。林家一門の女将さんであるいっぽうで、戦争の語り部でもあった香葉子さんの思いだ。

 

「私が母の体験をそのまま話したとしても、本人の語りじゃないから弱いんですよ。そこで私なりに、若い人たちにどうアプローチするか考えて、祖父の七代目林家正蔵が残した国策落語の『出征祝』を復刻させました」

 

国策落語は、太平洋戦争の最中、戦意高揚のために作られた。戦争がいかに異常であったか、三平さんは落語を通して伝え続ける。

 

「いまもオフクロが亡くなったとは思ってません。だって、よく心の中で叱られてますもん。

 

明日やろうと思ったら“今日やっちゃいなさい”とか。先生に挨拶に行かなきゃと思ったら、“手ぶらで行っちゃいけないよ”なんてオフクロの声が聞こえてくる。だから、寂しくはないですね。

 

生きていくさまというものすべてをオフクロから習いました。本当に感謝しかないです」

 

画像ページ >【写真あり】小学校の入学式にて。父である初代林家三平師匠と香葉子さんに抱かれ、はにかむ姿が可愛いらしい(他2枚)

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