■「そんなことさせるために育ててきたわけじゃない」と父に激怒されて
悩みを抱えながらも、AV男優の仕事は思いのほか自分に合っていた。男優に必要とされた体のコントロールができていたし、年配のベテラン勢が多い中、若手の森林のニーズが高かった。
「コミュニケーション能力も、業界の中では高かった方だと思います。監督の意図するところを読み取ることができたし、女優さんともコミュニケーションをとって、失敗をしても修正できていました。まあ、不細工で気持ち悪いからって、NG男優になったりもしましたけど」
デビューしてから2年ほど経った2001年5月、大学から履修届が未提出だという知らせが親元に届いた。心配した母親は「話があるから、何時になってもいいから帰ってきなさい」と自宅で待っていた。
「忘れもしない、母の日でした。オウム真理教の事件が記憶に新しかったし、高学歴の信者がいたことも話題になったから、なにか宗教にハマっているのか心配したようです。それで意を決してAV男優をやっているとカミングアウトしたら、父親は『そんなことさせるために育ててきたわけじゃない』『息子がそんな仕事をしたら、会社をクビになる』と激昂。母親はまだ理解が追いついていない状況でした。
それをきっかけに家を出て一人暮らしすることにしました。親との関係が修復されたわけではないのですが、家探しを母が手伝ってくれ、保証人には父がなってくれました。家を出るその日、母にこう言われました。『5年間待つから。お金をちゃんと貯めながら、自分のやりたいこと見つけなさい』と」
自らの選択で、誰よりも味方だった親を悲しませる結果となり、AV男優の仕事には迷いを持ち続けていた。20代の終わりに服飾の専門学校の夜間部に行ったりもした。だが30歳のとき、結婚を考えたことが大きな転機になった。
「相手は服飾学校で出会った一般の女性でした。女性の親はAV男優を辞めないと結婚を認めないと言ったんです。それを自分の母親に相談すると『実の親が辞めろと言っても辞めなかったのに、他人の親に言われたら辞めるのか。10年続けた自分の仕事にプライドはないのか』って一喝されたんです。その女性との結婚は叶いませんでしたが、母親が遠回しにボクの仕事を認めてくれているのかもと感じられうれしくなりました。父親もそのころから、毎年のボクの誕生日に体を気遣うような言葉と、人生訓のようなメッセージを送ってくれるようになったんです」
親に認められたことも後押しとなり、仕事に邁進。30代で業界では最高額といわれる年収3千万円を稼ぐまでのトップAV男優になった。体力の限界と、商業的すぎる撮影内容についていけなくなり、45歳を機に一線での男優活動から退き制作する裏方に回っている。と同時に、「日本のセックスの底上げ」をスローガンにオフィシャルサイトを立ち上げ、これまでの経験を活かし、親子や大人のための性教育なども行なっている。
「30代半ばに本を出すことになり、ようやく親に見せられる仕事ができたときはほっとしました。内容は、セックスを通して、人間や世界を考えていくものでした。セックスのなかには、AVで描かれる相手をモノにするセックスがあったり、一般のカップルや夫婦がするコミュニケーションの一つと言われるものもあります。
さらにもう一つ、2人の境界線が無くなり相手と一体化する、より深いセックスもあります。これは太古の昔から変わっていないでしょう。でもそれが学術的に解き明かされているとは思えない。だから、性愛の持つ深淵なところに踏み込んでいきたい。とはいえ、なんでボクはこんなに性に振り回され、突き動かされる人生なんだろうかとも考えています。まだまだ親に心配かけています」
画像ページ >【写真あり】性愛に関する書籍も出版している森川さん(他1枚)
