インタビュー
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石野田奈津代 vol.6
2008/11/07 00:00[E:note] 石野田さんは“泣かせるオンナ”という異名を持っていらっしゃるんですよね。石野田: 共感してくださるのかな? 私の辛い気持ちとかを歌にしているので、きっとみなさんも同じような辛い経験をしていると思うんです。それをたぶん自分に重ね合わせて、涙が出るのかなぁって思いますけど。 [E:note] 石野田さんご自身、歌っていて泣いてしまうこともある?石野田: あります、あります(笑)。[E -
石野田奈津代 vol.5
2008/11/05 00:00[E:note] 曲作りが今のような体制になってどのくらい経つのですか?石野田: この3年くらいですね。今は自分が目指すもの、自分が届けたいと思うものをそのまま作れる。メジャーにいたときはまだ若かったし、何もわからないままで、みんながいろんなことを用意してくれて。周りが準備してくれたことをただやる、という感じでしたからね。[E:note] それが約10年ぶりに、来年早々、メジャー再デビュー!! と -
石野田奈津代 vol.4
2008/11/01 00:00[E:note]路上ライブを始めたのは?石野田: 高校1年生のときから、上京してすぐに路上ライブをされている人たちと出会って一緒に歌うようになったんです。その後、失恋がきっかけで、いっぱい自分で曲を作るようになったんですよ。この想いを! みたいな、いつかその人に届いたらいいなぁという想いで作り始めて、それで路上ライブを始めたんです。それと、歌手になるって決めて上京したときから、将来、ぜったいビッグ -
石野田奈津代 vol.3
2008/10/31 00:00[E:note]楽器に絵を描いてみようと思ったのは?石野田: おもしろいかなぁ…って。前回、去年も個展を開いていて、そのときは絵を描いて、その絵に対して曲をつけてひとつの作品、という内容だったんです。今回は、もうちょっとレベルアップしよう!と。楽器に絵を描いて、その楽器で歌を作ったら、もっと面白いんじゃないかなぁと思ったんですよね。個展会場で作品として売っていたんですけど、完売しちゃって、私の手元 -
石野田奈津代 vol.2
2008/10/30 00:00[E:note]星がテーマになっているのが多いのはなぜ?石野田: きっと、出身が神津島だからだと思います(笑)。すごく星がキレイなんですよね、小さいころからよく星を見るクセというか、父に星の名前を教えてもらっていて。空を見上げる習慣がもともとあって。遠くの光を見て元気をもらえる! と感じることが多かったんです。だから、自然に歌を作ると星っていうキーワードが出てくるし、東京に来てからも、空を見るクセ -
石野田奈津代 vol.1
2008/10/29 00:00“ライブで泣かせるオンナ”彼女のライブに聴きにきた人間は、半数以上、涙を流すという。「歌手になりたい」と故郷・神津島から上京。高校に通いながら、東京の四ツ谷や吉祥寺の駅前でストリートライブをおこなう制服姿の彼女は、当時、メディアで注目を浴び、翌年メジャーデビューを果たすも、メジャー時代は約2年で終了。2007年に自主レーベルを立ち上げ再出発を切った。そんなさまざまな苦難!? を乗り越えてきた石野田 -
石野田奈津代 ‐Information‐
2008/10/28 00:00[E:note]Profile東京都・神津島出身 1980年4月28日生まれ1996年「歌手になりたい」という夢を抱いて、生まれ故郷の神津島から、高校入学と同時に上京。ほどなく、度胸をつけようと『いしのだなつよ』という名前で、東京・四ツ谷・吉祥寺駅駅を中心にストリートライブを始める。高校2年の夏、オーディションに応募し、合格。高校卒業目前の1999年2月、アルバム「ひまわり」で、念願のメジャーデビ -
普天間かおり vol.8
2008/10/13 00:00[E:note]ふだん作詞されるときはどういうような感じで?普天間:引きこもって…(笑)、作るぞ~って感じが多いです。でもその前にいくつかモチーフになるもの、材料集めはいつもやっていますね。自分がアレッ? ひっかかるなぁというものはいくつかとって置いて、これはなんかふくらみそうと予感が走り、思いが膨らみ始めたときに、よし! って感じでやっています。[E:note]詞を書くことが苦であるとかはない? -
普天間かおり vol.7
2008/10/12 00:00[E:note]確かに沖縄はTシャツと短パンで生活できちゃいますものね(笑)。普天間:でも、だからといって帰ろうとは思いませんし、それよりも、今でもそう思っていますけど、東京はたくさん刺激があって、どんどんいろんな人に出会うことができますし、発見が多いですよ。ただ、ときどき沖縄に帰って充電できているからいいのかもしれませんね。それに、私にとって東京に出てきて一番よかったなぁと思っているのは、沖縄の -
普天間かおり vol.6
2008/10/11 00:00[E:note]自分には歌がある、という思いが「思春期のころの支え」になったということでしたが。普天間:多感なころって、「自分なんかいてもいなくてもいいんじゃないか?!」なんて思ってしまう人が多いと思うんですよ。そうでなくても、みなさんいろんな悩みにぶつかりますよね。私自身も、自分が生まれてきた意味というか、意義みたいなものを見失って、死んでしまいたいなぁと思ったときもありました。そのとき、やっぱ -
普天間かおり vol.5
2008/10/10 00:00[E:note]いまでは沖縄発のインディーズのミュージシャンが全国的なヒットを飛ばすこともめずらしくないですけど、もともとはそういった島の人たちの音楽を愛し、支える風土があってのことなのでしょうね。普天間:沖縄は独自の芸能界があって、本土の芸能界、たとえばヒットチャートに名前が出るとか、テレビに出るという方たちと関係なく成り立っているんですね。民謡の大御所もいれば、基地があるからジャズやロックも盛 -
普天間かおり vol.4
2008/10/09 00:00[E:note]同じ“沖縄のDNA”を感じるというモンゴル800。彼らの楽曲の中でも『小さな恋のうた』を選んだのには何か理由があったのでしょうか?普天間:『小さな恋のうた』というのは、広い宇宙、青い地球の中にあって、沖縄は小さい島だけれど、小さいながらも一人の愛する者を思う気持ちは遥か彼方へ届くほど……。そして、音楽にその一途な思いを託すというところにものすごく打たれましたね。音楽もたくさんジャン -
普天間かおり vol.3
2008/10/08 00:00[E:note]「人生に寄り添う歌…」。普天間さんが人々に届けたいメッセージを真剣に言葉に託されているからこそ、その女性のような思いをされた方がいるのでしょうね。ほかにはどんな声が?普天間:男性側のお話として、奥様を亡くされた旦那様が、仕事も趣味も何もやる気がおきない。自分も死んでしまった方が楽かもしれない、というような毎日を送っていて、自然とお友達や周囲とのコミュニケーションも少なくなってしまっ -
普天間かおり vol.2
2008/10/06 00:00[E:note]『守りたいもの』を作詞されたのはいつごろになるのですか?普天間:2007年が明けてすぐのころです。近頃は、あまりにも世の中で命に関する悲しいニュースが溢れているからなんですね。家族の中で殺人事件があったり、通り魔的な、無差別殺人があったり、あるいはまた、自分で命を絶ってしまうニュースがあったり……。もちろん報道ですから、どうしてもそういうところにスポットが当たってしまうのかもしれま -
普天間かおり vol.1
2008/09/30 00:00エキゾチックな長い黒髪と黒く大きな瞳。「なんくるないさぁ」と笑ったときの、真っ白な歯がのぞく大きな口元。この見るからにダイナミックな印象の女性が、今回の歌姫・普天間かおり。沖縄の琉球王朝の子孫と聞くと、その気品に満ちた大らかな佇まいが、どこか神々しくも見えてくる。メジャーデビューから7年。昨年6月にリリースしたシングル『守りたいもの』のロングヒット、さらに同年11月、『守りたいもの』も含め、選りす -
普天間かおり -Information-
2008/09/29 00:00[E:note]Profile本名:同じ 出身地:沖縄県中城村 生年月日:1973年9月23日 琉球王朝の流れに生まれる。幼少の頃より歌い始め、小学生の頃には既に地元で活躍するようになる。高校2年生で上京し、本格的に音楽活動を開始。1997年にインディーズでミニアルバム『真南風(マフェー)』を発売、沖縄ではメジャー作品を凌ぐ売上を記録する。その後シンガーソングライターとして評価され始め、企業CMな -
りりィ vol.6
2008/09/22 00:00[E:note]最近の世の中は危ういことが多いというか、硬い話で言えば憲法九条を変えてしまうのかとか、巷の話で言えば、親が子を殺したりとか、子が親を殺したりとか、ものすごく危ういじゃないですか。そして、起こり得ることになってしまっている。僕は自分の取材活動はそういうことを取り扱うことが多いんですが、誰にも親はいたわけだし、子供がいるということは、その親はその子を産んだわけじゃないですか。その関係が -
りりィ vol.5
2008/09/21 00:00[E:note]ご結婚されたのはお幾つですか。りりィ たぶん、1年前の32歳だったと思う。それで、子供ができて籍入れたのかな、なんかアバウトで。[E:note]お子さんはいま。りりィ 22歳の男の子です。[E:note]社会人ですか。りりィ 社会人というか、音楽をやっていますね。[E:note]一緒にやっているんですか。りりィ うちの音楽と違いますね。ギターボーカルでスリーピースなんですよ。ベース -
りりィ vol.4
2008/09/20 00:00[E:note]『私は泣いています』をお作りになったころの心境は。りりィ それを聞かれると一番困りますが(笑)。私の場合、詩を書くのは経験というよりも物語なんですよ。だから、『私は泣いています』も物語です。本当はたまたま英語のブルースを作っていたんです。『アンクライングオンザベッド』というね。ブルースって、まず2回繰り返すんです。その英語のほうは面白くなくて乗らないんですよ。それを直訳して遊んでい -
りりィ vol.3
2008/09/19 00:00[E:note]お母様が病気になられたのはいつでしょうか。りりィ 具合が悪くなって東京の病院に入院したというところから始まるんですけど。それから、3か月ぐらいでしたねえ。お見舞いにはたまに行っていました。[E:note]お母様がお亡くなりになったあとにデビューですね。デビューはお幾つのときですか。りりィ 20歳です。それまではさっきのような生活ですね。18歳の後半ぐらいで、最初の事務所と知り合って -
りりィ vol.2
2008/09/18 00:00[E:note]そのころからお酒を飲んだりしていたんですか。りりィ そうですね。でも、本格的に飲み出したのはもっとあとです。15歳は、まだその界隈で知り合いを作っていく段階。16歳ぐらいからは結構行っていましたかねえ。[E:note]すごいですねえ。僕もゴールデン街はたまに行きますけど、15歳で行くというのは。りりィ そういう時代でしたね。だからあんまり……どうなんだろう。[E:note]周りにも -
りりィ vol.1
2008/09/17 00:00風のように、雨のように、そして日差しの様に、りりィの歌声は我々の心に響いてくる。今や女優として日本映画界にはなくてはならない存在になっているリリィ。そんな彼女が、今、1999年から新たなユニットで“歌うこと”を始めている。彼女の過去から今へいたる“歌の道”を聞いた。(インタビュー/鈴木利宗 撮影/桑原 靖)[E:note]生年月日とご出身は。りりィ 1952年2月17日です。生まれは福岡の博多です -
COON vol.5
2008/09/15 00:00[E:note]これから、自分のファミリー、旦那さんと子供を作っていきたいなという気持ちはどうですか。コーン 子供は大好きなので。老後になると寂しいというのもあるんですけど。でも、いまは全く結婚願望はない。アハハ。親が逆に、「うちは孫が見れるのかな」というふうに言っていますよ。 [E:note]でも、歌も子供みたいなものじゃないですか。コーン 本当にそうだと思います。だから、自分の大事な子供たちを -
COON vol.4
2008/09/14 00:00[E:note]映画ですが、映画を見てどう思いましたか。コーン 映画を見て、大人の人が作ったのに、こんなに思春期真っ最中の子供の心を表せるんだなと、逆に気持ち悪くなるぐらいに本当にすごいなって。もう本当にこのままだとなって。いま絶対にいまは真っ最中、どの家庭でもあることだから。[E:note]何で素直になれないんだろうねえ。コーン いま思うと難しいし、すごい不思議なんですけど。でも、逆に映画を見る -
COON vol.3
2008/09/13 00:00[E:note]コーンは十五歳で歌に出会ったときに、そういう気持ちが、わかったわけですが、最初に音楽に入るきっかけは何だったんですか。コーン 学校では、私のキャラクターというか、私のしゃべり方とかが原因で、いろいろなことがあって、クラスメートになかなかうまく打ち解けなかったんですね。「なんだ、こいつは」的な感じで、一線を置かれていた感じだったんで、うまく入れなくて。でも、私は一人遊びが大好きで、け