高視聴率の春ドラマ『天皇の料理番』(TBS系)。主人公のモデルとなったのは、宮中晩餐会や天皇皇后両陛下の日常の食事を作る、宮内庁管理部大膳課の初代主厨長で“天皇の料理番”の秋山徳蔵氏。そんな、大膳の歴史を作った秋山氏には今なお語り継がれる伝説があるという。そこで、“昭和天皇の料理番”として活躍した和食担当の矢部金次郎さん、洋食担当の工藤極さん、皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんに話を聞いた!
【戦後、皇室を守るためGHQに猛アピール】
「ことあるごとに料理外交を行ったそうです。米軍将校に料理人を紹介したり、マッカーサー元帥の誕生日には、盆栽を贈ってお祝いしたと伝えられています」(松崎さん)
【宮中晩餐会の名物!“富士山”を進化させた】
「日本の象徴、富士山をモチーフにしたのが、富士山アイス『グラスFUJIYAMA』。パルフェというフランス伝統のお菓子で、カスタードクリームにホイップした生クリームを加えて、銅製の富士山の型に流し込んで凍らせます。ボクが大膳にいたころは、3層構造で、上から赤色のザクロのシロップで朝日を、バニラの黄色の層で中腹を、一番下の抹茶の緑色で広い裾野を表現していました」(工藤さん)
【園遊会で今も大人気の徳蔵オリジナル・ソース】
いくつものカメに保存され、3年ほど前に仕込んだ古いものから順に使用するとか。
「中身は醤油ベースで、みりん、酒、ホリス酢、甘夏みかんの汁、たまねぎ、にんじん、りんごのすり下ろし、タバスコなど。分量は門外不出です」(工藤さん)
【フルーツの品種改良まで着手していた!?】
「アメリカからデリシャス種のりんごが青森に持ち込まれた昭和初期、初めて実をもらった徳蔵は、貞明皇太后に献上し、残りを研究者に託したといわれています。戦前の新宿御苑では、大膳で使われる野菜を育てていましたが、農学博士でもあった福羽逸人大膳頭がいちごやメロンの種を持ち込み、改良を重ねました。そこで徳蔵も協力したという話があります」(松崎さん)
【晩餐会の盛り付けに使う“一枚板”は今も活躍中!】
「秋山さんが大正時代に台湾から取り寄せたイチョウの木の一枚板を、盛り付けに使っています。厚さは30センチほどあり、樹齢は何百年単位じゃないでしょうか」(矢部さん)
【真心を捧げるため晩年まで飽くなき挑戦を】
初代主厨長に就任した5年後、半年にわたり上海や広東、北京などに渡り、中華料理の研究を行った。
「以来、大膳課が作る日々のメニューには、酢豚やギョーザなどの中華料理も取り入れられています。還暦を過ぎた後も、天ぷら専門店や寿司店で、本格的な和食を勉強したそうです」(松崎さん)