7月31日午前10時10分、皇室ジャーナリスト・松崎敏弥さんが食道がんのため、自宅で静かに息を引き取った。享年77。
松崎さんが「女性自身」編集部に入り、記者として皇室取材を始めたのは1960年。ちょうど美智子さまが皇室に入られた翌年のことだった。以来、皇室取材ひと筋56年――。
昨年、著書『毎日読みたい美智子さま~愛が生まれるおことば81~』を出版した際、松崎さんはこれまでの取材活動を振り返り、こう語った。
「美智子さまは民間から嫁がれて、大変なご苦労があったと思います。そんな美智子さまがどんな皇室を作っていかれるのか。私は見守りながら、それを見届けて読者に伝える。その信念のもと、皇室取材ひと筋で今日まで至っているんです」
いまでは考えられないことだが、皇太子さまや秋篠宮さまをご静養先などで直接取材をすることもあった。そんな松崎さんをテレビなどのメディアは「民間侍従」と呼ぶこともあった。
そんな松崎さんにがんが見つかったのは3年半前。抗がん剤治療などを経てもなお、ライフワークとして皇室取材への思いは変わらなかった。
陛下が「生前退位」のご意向を示され、今月上旬にも「お気持ち」を表明されることが明らかになったが、松崎さんはがん闘病の病床から、このニュースについても注視し続けていた。この陛下の「お気持ち」公表について、8月2日発売号の「女性自身」の取材を受けたのが7月29日のことだった。
この取材にあたり、松崎さんはこう語った。
「悠仁さまのご誕生から10年。陛下がご自身でご意向を示さざるを得なかったのは、深刻化する“皇統の危機”に対して、政治はまるっきり無策だったから。“お気持ち表明”には、あらためて皇統を守るという両陛下の強い信念を感じますね。それは“悠仁さまの未来”を思ってのお気持ちでもあるのです」
取材翌日の午後、自身のコメントが書かれた編集部の原稿を松崎さんはベットの上で確認した。「大丈夫」とそばにいた夫人に伝言し、その原稿は印刷所へと回された。翌朝、ベッドで朝食としてコーンスープをとった数時間後、松崎さんは帰らぬ人となった。家族も逝去を気付かぬほど、安らかな寝顔だったという。
最期まで皇室を敬愛し、その未来に思いをはせ続けた皇室記者・松崎さん。その通夜は8月5日、長く暮らした地元・東京都三鷹市の禅林寺で18時から営まれる。