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天皇皇后両陛下が今春、イギリスを公式訪問されることが1月14日に明らかになった。ご訪問は5月を軸に調整が進められているという。

 

「今回、雅子さまが英国ご訪問を決断された大きな理由には、ダイアナ元妃への“強い思い”があるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)

 

外務省職員だった雅子さまは’88年から’90年、研修のためにイギリスに留学されていた。

 

「その当時、ダイアナ元妃はすでに2児の母親でもありました。ときには子連れで海外公式訪問に臨み、王族として国際親善のために世界を飛び回っていたのです。その活躍ぶりは雅子さまの目にも鮮烈に映ったはずです。雅子さまは渡英の前年からお妃候補として注目されていました。その後、陛下のプロポーズをお受けになった雅子さまの胸には、ご自身の目指す“皇太子妃のモデル”として、ダイアナ元妃の姿があったに違いありません」(前出・皇室ジャーナリスト)

 

そして、皇太子妃となった雅子さまがダイアナ元妃と面会を果たされたのが’95年の2月だった。ダイアナ元妃はひとりでの非公式な訪日だったが、両陛下が懇談にお招きになったのだ。3人だけで御所の応接室に入られ、通訳を交えず英語で30分ほどご歓談。話題は日常生活から公務にいたるまで、多岐にわたったという。

 

「ダイアナ元妃は福祉や国際平和の問題にも関心が高かったので、雅子さまとの共通する話題も多かったと聞いています。とくに貧困や紛争で苦しむ子どもたちについては、少しでも早くこの問題を解消しなければいけないと意見が一致し、お互いに努力を誓われたそうです」(前出・皇室ジャーナリスト)

 

そして、最後に雅子さまとダイアナ元妃は「次はイギリスでお会いしましょう」と約束を交わしたという。

 

この麗しくも充実した会談について、当時の新聞は《新しい“プリンセス外交”が始まる予感が感じられた》などと報じた。ところが、ダイアナ元妃は’97年8月、36歳の若さで交通事故により非業の死を遂げる。

 

英国政府からはダイアナ元妃の葬儀に「皇太子と妃殿下にお越しいただけないか」との打診があった。しかし、国葬ではなかったこともあり、日本政府はその申し出を辞退してしまう。

 

「両陛下が参列を望まれても、政府のOKが出なければ出席は不可能だったのです。それでも雅子さまは親愛なるダイアナ元妃の葬儀に、一人の友人としても参列されたかったと思います」(前出・宮内庁関係者)

 

雅子さまにとって英国ご訪問は、ダイアナ元妃との約束を果たす“25年越しの宿願”なのだ。ダイアナ元妃の葬儀以後、英国王室から陛下と雅子さまに2度の招待があった。しかし雅子さまは、いずれも断念せざるをえなかった。

 

’01年にロンドンで開催された日本文化紹介事業「Japan 2001」には、陛下がお一人で出席。愛子さまをご懐妊した雅子さまは訪英を見送られた。’11年4月には、ダイアナ元妃の長男であるウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式に招かれていたが、直前の3月、東日本大震災が発生。両陛下は訪英の見送りをご即断せざるをえなかった。

 

しかし雅子さまはご療養中も、国連大学で講義を聴講するなど、国際社会への関心を持ち続けられていた。毎年の誕生日に際して発表なさっていたご感想でも《これからの地球や人類の将来について考えていくことも大切なのではないかと感じます》(’14年)、《内戦や紛争の影響が、特に子供を始めとする弱い立場の人々に大きく及んでいる現状を深く憂慮しております》(’18年)と、繰り返し環境問題や難民問題について訴えてこられたのだ。

 

また、ダイアナ元妃が亡くなった’97年、雅子さまは誕生日の会見で元妃を悼み、こう述べられた。

 

《遺されたお二人の王子様方がこの大きな悲しみをお乗り越えになって、そして、お健やかにご成長なさいますことをお祈りしたいと思います》

 

ウィリアム王子は自らも野宿を体験するなど、若者のホームレス問題解決のために15年近く活動を続けている。ヘンリー王子も、アフリカでの野生動物保護活動やエイズ撲滅のための慈善団体設立など、さまざまな社会貢献活動に尽力している。

 

「両陛下はウィリアム王子との再会も楽しみにしていらっしゃるでしょう。皇后となられた雅子さまは、ご体調も回復しつつあります。イギリス訪問は、ダイアナ元妃の遺志を継ぐ国際貢献活動へのきっかけになるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)

 

多忙極まるなかでの決意のイギリスご訪問。だが、それは皇族としての道標を示してくれた「ダイアナ元妃への恩返し」なのだ。

 

「女性自身」2020年2月4日号 掲載

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