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東北各県に甚大な被害をもたらした東日本大震災から、今年で9年が経つ。

 

天皇陛下と雅子さまは、’11年6月に宮城県山元町の避難所で被災者を励まされた。そして同年7月には福島県郡山市、8月には岩手県大船渡市へ。その後も継続的に被災地を訪問されている。

 

ただ、今年は新型コロナウイルスの感染拡大もあり、震災関連の報道もやや目立たない状況となってしまった。

 

「政府主催の東日本大震災の追悼式も中止になりました。3月11日は、陛下、雅子さま、愛子さまがお三方そろって震災発生の時刻に黙とうされて、赤坂御所でお慎みになるでしょう」(宮内庁関係者)

 

実は、雅子さまの母方のルーツは、被災県の一つである岩手県にある。

 

「雅子さまの母・小和田優美子さんの両親が、江頭豊さんと寿々子さん夫妻です。2人は東京・目黒にある小和田家と同じ敷地内で暮らし、雅子さまが幼いころから、たいへんかわいがっていました。そんな寿々子さんの父親、つまり雅子さまの曽祖父の山屋他人は岩手県盛岡市出身で、海軍大将として連合艦隊司令長官も務めた人物です」(皇室担当記者)

 

盛岡タイムスの元記者で『山屋他人―ある海軍大将の生涯』の著書もある藤井茂さんに話を聞いた。

 

「寿々子さんに初めて会ったのは、天皇陛下と雅子さまのご婚約、ご成婚があった’93年でした。寿々子さんは、山屋他人にゆかりの山屋坂で写した3~4歳の雅子さまの写真を見せてくれました。かわいがっていた様子でした」

 

藤井さんは山屋他人の取材のために寿々子さんに何度か会ったのだが、雅子さまの話もときどき聞かせてもらったという。

 

「寿々子さんは『雅子さまは本当にいい子で、私の話をずっと覚えていて、実行してくれたこともあります』と言っていました。寿々子さんが、福井県の永平寺に山屋他人の書が所蔵されていると話したところ、雅子さまはお友達と旅行したときに、わざわざ永平寺をお訪ねになって書をご覧になったそうです。寿々子さんの話を伺っていると、雅子さまはとてもおばあさんっ子でいらっしゃると感じます。また、雅子さまは以前、尊敬する人として祖父母を挙げられていたこともあったそうです。ご自身のルーツとして、いまでも盛岡や岩手を意識されているのではないでしょうか」

 

’13年11月と’16年6月には、天皇陛下とご一緒に岩手県の被災地を訪問されている雅子さま。特別な思いを抱かれてお見舞いに臨まれていたのかもしれない。

 

「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載

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