■“お祖母さま”との別れは1時間以上にも。友人が漏らした言葉に上皇后さまは呟いた
「長女との話し合いですね。それについては、結婚のことについては話をする機会はありません」
19年11月、秋篠宮さまは誕生日会見で、こう述べられた。宮内庁による結婚延期の発表から、まもなく2年。同じ家に住みながら、こと結婚に関しては、父娘の関係がずっと平行線のままであることを認めるご発言だった。
「このころ眞子さんは食卓を両親と共にすることすら嫌がり、紀子さまとも公務以外では口を利かず、日に日に亀裂が大きくなっていくような親子関係を前に、秋篠宮さまの酒量も増えたという報道もありました」(皇室担当記者)
翌20年11月8日、秋篠宮さまの立皇嗣の礼が行われ、皇位継承順位1位の皇嗣となられた。その5日後には、眞子さんが文書を発表。
《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》
これが、ご両親の心を動かしたのだろうか。同じ月に行われた秋篠宮さまの55歳の誕生日会見では、
「結婚することを認めるということです」
これまでとは一転、初めての容認発言があった。ただし、
「長女の結婚について反対する人もいますし、(略)特に結婚と婚約は違いますから」
など、かえって以前にも増し、複雑な胸中が伝わる内容となった。
「上皇陛下は、上皇后さまとのご結婚にあたって『どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの』とおっしゃったといいます。一方、秋篠宮家では、眞子さまのご発言をはじめ、“公”より“私”を優先されているように見えてしまうのです」(前出・宮内庁関係者)
そして今年2月19日、天皇陛下の記者会見では、秋篠宮家の婚儀についての言及があった。
「眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」
前出の皇室担当記者は、
「この陛下のご発言は、眞子さまには、相当にショックな内容だったのではないでしょうか」
しかし、その2カ月後、小室さんが28ページに及ぶいわゆる「小室文書」を発表するや、それを受ける形で、翌日には眞子さんが自身の気持ちを表明。
「今回発表された文書を読まれて、いろいろな経緯があったことを理解してくださる方がいらっしゃればありがたい」
前回の「生きていくために必要な選択」発言から、さらに小室さんとの結婚に突き進む意思を明確にしたのだった。
「眞子さんが頑固というのは、秋篠宮さま譲り。これは上皇陛下も同じで、3代続いてのことなのです。そもそも、眞子さんがICUに行ったことがその表れ。頑固ということより、いったん決めたら貫くという意志の強さです。さかのぼれば、秋篠宮さまご自身が、昭和天皇の喪中にもかかわらず、ご婚約内定の発表を行い世間を騒がせたというご経験をお持ちなのです。
そもそも秋篠宮さまの自主性を重んじる教育も、上皇陛下と上皇后さまのご成婚から始まった『開かれた皇室』の議論を、ご自分なりに解釈なさった結果なのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)
家族問題カウンセラーの山脇由貴子さんは、
「秋篠宮さまは、自由な教育のあまり、子供へのブレーキが利かなかったのかもしれません。常々、“自由”“自主性”を表明していらっしゃるからこそ、それを否定しづらかったでしょうし、“娘に嫌われてしまう”という思いもよぎったかもしれません。親としての弱さが、結果的に娘の意思を尊重しすぎてしまった可能性はあります」
天皇陛下のご学友も、本誌にこうコメントを寄せた。
「結婚の自由は皇族であっても認められるべきです。しかし、このような国民の納得を得られない結婚となった背景には、子育てについても自由を重んじてきた秋篠宮家の教育があったのではないかと思います。結果論でしかありませんが、大学もICUではなく学習院大学にいらしていたら、一時金の辞退や伝統の儀式を一切行わない結婚にもなっていなかったと思います。陛下も残念に思われていることと思います」