イギリスのエリザベス女王が9月8日に亡くなった。96歳だった。
エリザベス女王は’26年4月、のちに国王となるジョージ6世の長女として誕生。’52年に国王が死去し、エリザベス2世として25歳で王位を継承。以降、歴代最長の70年にわたって“イギリスの顔”として君主を務めた。
そんなエリザベス女王が来日したのは意外にも一度。’75年5月7日から12日の6日間、昨年4月に亡くなったフィリップ殿下(享年99)とともにやって来た。今から47年前のその貴重な日々を本誌は’75年5月29日号で報じている。
■5月7日と8日
5月7日に来日したエリザベス女王。日本で初めての夜を過ごした翌日、東京会館で開かれた午餐会に出席した。
当時、東京会館のボーイ長は「私たちの差し出す大皿からご自分で食べられる量だけお取りになるのですが、お取りになった分は絶対に残されない」「非常に繊細な配慮をなさる方ですね」とコメント。さらにボーイ長は女王のグラスを見て、驚いたという。
「口紅が全然ついていないのです。もちろん、お飲みになる前にナプキンを口にあてられるので、べったりつくことはありませんが、それでも少しはつくのがふつう。ほかのウエーターと、そのことについて話し合ったのですが、おそらく話をされているときに、さりげなく指でサッとふいておられたのでしょう」
またボーイ長はナイフが汚れていなかったといい、「たぶん、フォークできれいにされたのでしょうが、完ぺきなマナーには、ただもう頭が下がります」と語っていた。
■5月9日
この日、午後1時から帝国ホテルで催された日英協会の午餐会に出席したエリザベス女王。その後、帝国ホテルから国立劇場間をパレードした。このパレードには、11万4000人が集結。エリザベス女王の姿を一目見ようと、沿道を人々が埋めた。
当時、日比谷公園の売店を30年間経営しているという男性は「あんなに人が出たのは久しぶりのこと」と目を細めていた。さらに「おかげで、店の売り上げはふだんの倍に伸びました」とエリザベス女王の人気を語っていた。
■5月10日
東京を後にしたエリザベス女王は京都へ。到着すると、市内の沿道で人々がお出迎え。その数、なんと26万人! そして、女王は竜安寺を訪れることに。
住職の誘いもあり、10分間の瞑想にふけった女王。その後、住職が書を披露すると、女王は「無」と書かれた色紙に興味津々な様子。「どういう意味ですか?」と尋ねたところ、住職は「ちょっと訳すのは難しいのですが、西洋でいえばゴッドにあたります」と返答。すると女王は納得した表情を見せて「おみやげにいただけませんか?」といい、色紙を持ち帰った。
午後4時には、予定より30分ほど遅れて桂離宮に到着。千宗室・裏千家家元の野点で、初めて抹茶を口にしたエリザベス女王は「たいへんおいしい。もっと苦いと聞いていましたのに」とニッコリ。そして楽焼の赤絵茶碗について「これはロクロで作るのですか?」と、尋ねていた。
■5月11日
西本願寺を訪ねたあと、エリザベス女王は一番楽しみにしていたという真珠島へ。“フューチャー・ウーマン・ダイバー(未来の海女)”と書いた札を胸に付けた4歳の女の子からバラを贈られると、続いて海女による真珠の核入れ作業を鑑賞した。
当時、海女の女性は「女王さまは、若わかしくてとってもおきれいな方です。それとあのチャーミングな笑顔は、一生忘れられないでしょう」と喜びを語っていた。
■5月12日
この日は訪日最終日。日本の旅を満喫したエリザベス女王は午前11時過ぎ、名古屋に足を運んだ。どうやら新幹線『ひかり』が見たかった様子。名古屋駅の駅長は、当時こう話していた。
「女王さまは、列車がホームに入ってくるところをぜひ見たいとおっしゃって、予定より早くホームにお出ましになりました。『列車がどちらから入ってくるのですか?』とおたずねになれて、私が方向をお教えすると、そちらのほうをのぞき込まれましてね。その間も、優美な微笑をたたえておられました」
そして『ひかり』で東京に戻ったエリザベス女王は羽田空港へ。ピンクの衣装をまとい、午後4時17分に日本を旅立った。
わずか一度の来日だったが、日本の人々の心に刻まれた“クイーン・スマイル”は永遠だ。