愛子さま 4年ぶりご静養での笑顔に秘められた「交流20年愛馬」との別れ
画像を見る 1997年、アハージージュ号と豊歓号に対面された両陛下 /(C)JMPA

 

■愛子さまの強いご希望で豊歓とお別れの挨拶を

 

それはアハージージュ号という貴重なアラブ純血種の牝馬だった。天皇陛下が御料牧場で走るアハージージュのことを詠まれた和歌が朗詠されたのは’01年の歌会始の儀だ。

 

《草原をたてがみなびかせひた走るアラブの馬は海越えて来ぬ》

 

皇室担当記者が続ける。

 

「アハージージュが出産した子馬を命名されたのは天皇陛下と雅子さまです。“歓びの歌”という意味の名前の母馬にちなみ“豊歓”に決まりました。

 

誕生から2カ月後、両陛下は母子に御料牧場でご対面しました。母子だけに星(額にある白い模様)は瓜二つ。両陛下は子馬の星をいとおしそうになでられたのです。

 

豊歓は3歳ごろ、牧場から皇居にやってきて、宮内庁車馬課主馬班に所属し、“皇族も乗る馬”としての訓練を受け始めました」

 

’01年12月にお生まれになった愛子さまにとって、豊歓はまさに“幼なじみ”だった。

 

「彼は優しい性格で、ほかの馬と比べて小柄ということもあり、女性や子供でも乗りやすかったのです。そこで愛子さまを乗せるお役目を担うようになりました。幼少期のころから愛子さまは豊歓に慣れ親しみ、お一人で乗られるようになったのは5歳のころだったそうです」

 

’08年8月、愛子さまは「那須どうぶつ王国」で乗馬されたが、6歳でいらしたのに堂々としたご様子だった。それも“親友”との練習の成果だったのだろう。

 

だが馬の一生は人間の4分の1ほど。高齢となった豊歓は、2年前の’21年5月に引退の時期を迎え、生まれ故郷である御料牧場に帰ることに……。

 

「すでに’18年に母・アハージージュは亡くなっていました。天皇ご一家は、母子で尽くしてくれた豊歓をねぎらうために’21年4月に対面されていました。

 

しかしその翌月も、愛子さまは豊歓にお別れの挨拶をするために、皇居の厩舎を訪ねられたのです。愛子さまの強いご希望で実現し、雅子さまも同行されました」

 

“コロナ禍のなか、次に会える日は来るだろうか”……、愛子さまはそんな不安も感じていらしたのだろう。愛子さまはにんじんをあげ、鼻をなで、慈しむように語りかけ続けられたという。

 

「お別れのご挨拶は1時間ほど。愛子さまは厩舎を離れる際、何度も後ろを振り返られていました」

 

愛子さまのご不安どおり、それが“永訣の時”となった。豊歓が天に召されたのは、それから1年半後のこと……。

 

「御料牧場内には動物たちのために建てられた慰霊碑があります。アハージージュが亡くなった翌月、’18年5月に御料牧場に滞在された天皇皇后両陛下と愛子さまは慰霊碑を訪ねられました。もちろん今回のご滞在でも、慰霊碑の前で豊歓をしのばれたことでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)

 

馬の放牧地ではときおり寂しそうなご表情だった愛子さま。たてがみをなびかせ牧場を駆け回る親友の姿を探していらしたのか――。

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