■陛下は小学生時代から論語を素読されていた
陛下の穏やかさ・お優しさはどのように培われたものなのか。ある宮内庁関係者はこう語る。
「東宮侍従としてお仕えした故・浜尾実さんは著書『浩宮さまの肖像・愛』でアサガオのエピソードを紹介しています。
幼稚園でアサガオの苗を育てていたとき、ほかの園児が次第に飽きてしまったなか、陛下だけは毎朝水やりをお忘れにならず、いつもアサガオの成長ぶりを見守っていらしたそうです。先生も『優しいお心は、生まれつきなのでしょうか』と、驚いていたとか。
浜尾さんの著書では、陛下が小学生時代から『論語』を素読されていたことも明かされています」
『論語』とは孔子とその弟子たちの問答をまとめたもの。孔子が説く「仁(なさけ深い心)」を実践する人は“仁者”と 呼ばれている。
「陛下は50歳の誕生日でも論語の言葉を引用し、《「忠恕(ちゅうじょ)」のうちの「恕(じょ)」、すなわち他人への思いやりの心を持つことが、これからの世の中でますます大切になってくると思えてなりません》と、お話しになっています」(前出・宮内庁関係者)
上皇さまの恩師だった小泉信三氏も、「皇室の伝統的精神は仁慈(思いやりがあって情け深いこと)にある」と説いていた。
「しかし歴代天皇がけっして“怒らなかった”わけではありません。二・二六事件の際、信頼する重臣たちが反乱兵に殺されたことに、昭和天皇が激怒したという話は有名です。
また上皇さまは、お子さま方のしつけに関しては非常に厳しかったのです。幼いころの秋篠宮さまがテンジクネズミを池で溺死させてしまったことがありました。泳げるかどうか試されたそうですが、そのことを知った上皇さまは、秋篠宮さまを池に投げ込まれたそうです。
その秋篠宮さまについては、眞子さんや佳子さまも『かつてはよく怒る父親でございました』『導火線が短い』などと証言しています。確かに’19年の『即位礼正殿の儀』では、秋篠宮ご一家を先導する役目だった皇嗣職の宮務官長が動線を間違えてしまい、それに気づかれた秋篠宮さまが一瞬にらみつけるような形相を見せられたこともありました。
いっぽう天皇陛下は愛子さまの教育について“けっして叱らない”ことをモットーとされていました。皇室のなかでは、際立って仁慈の精神を実践されていると言えます」(前出・宮内庁関係者)
しかし“仁者の誓い”を幼少期から守り続けてきた陛下が、それを破られたことがあった。
「’04年5月の記者会見で、『外交官の仕事を断念して皇室に入り、国際親善が皇太子妃の大切な役目と思いながらも、外国訪問がなかなか許されなかったことに大変苦悩していました。雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です』などと発言されたのです。
前年の12月に雅子さまはお倒れになりましたが、原因の1つが男子を産まなければならないという重圧だったと言われています。会見での厳しいご表情とお言葉には“状況を改善し、雅子を救わなければ”という決意が秘められていたのです」(前出・宮内庁関係者)
天皇陛下のご生涯ただ1度のお怒りは、雅子さまをお守りするためだった。