秋篠宮家の長男・悠仁さまは11月に初めての論文「赤坂御用地のトンボ相 ―多様な環境と人の手による維持管理―」を発表された。宮内庁職員・飯島健氏、国立科学博物館動物研究部・清拓哉氏との共著で、25ページにも及ぶ。
共著者の飯島健氏は、農水省所管の国立研究開発法人である「農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)」の研究員だったが、秋篠宮さまが宮内庁職員として引き抜かれ、悠仁さまの“家庭教師”を務めていると12月5日に「文春オンライン」は報じている。
宮内庁関係者はこう語る。
「論文の謝辞には《赤坂御用地内の調査において、便宜を図っていただいた、宮内庁職員の方々に感謝申し上げる》という一文もあります。つまり今回の論文は秋篠宮さまと紀子さまのご了解のもと、家庭教師も含めた宮内庁職員たちが全面協力して完成したものといえます。
実は秋篠宮家では、このように皇族の作品制作に職員が動員されることは初めてではなく、“お家芸”ともいえます」
コロナ禍まで開催されていた「宮内庁職員組合文化祭美術展」には、上皇ご夫妻をはじめ、皇室の方々も出品されていた。
「2015年12月の美術展で注目されたのは、悠仁さまが出品された『車両用電球信号灯の模型』です。発泡スチロールの板や電球を使い、スイッチを押すと実際に信号が点灯するというものでした。精密さも話題になりましたが、大きさもほぼ実物大だったのです。
標識は『赤坂表町』となっていましたが、秋篠宮邸の場所に旧秩父宮邸があった当時、『赤坂表町』に面していたからとの説明でした。しかし、それは悠仁さまが誕生される前のことです。宮内庁内でも“信号機の大きさからも9歳の悠仁さまがお一人だけで制作されたとは考えづらい”といわれていました」(皇室担当記者)
翌年の2016年、秋篠宮ご一家が出品されたのが『昔の暮らし』というタイトルの、家のミニチュアだった。
この作品について、宮内庁は次のように説明している。
《悠仁親王殿下は、ご誕生になる前の時代のいわゆる「昔の暮らし」に関心をお持ちで、かつての建物のミニチュアを作ろうとお考えになりました。できるだけその時代の建物に近づくよう、図鑑などで調べたり、ご家族に聞かれたり、周りの人々に相談をしたりしながら、間取りをお考えになり、屋根、壁、床や畳、また台所で使うかまどや水瓶などの小物の制作に丁寧に取り組まれました。
今回は、台所の道具や井戸、お風呂などを中心にお作りになりましたが、他の部分についても、これからお作りになる予定です。
ご家族、そして職員も制作に協力し、楽しい時間をお過ごしになりました》
2017年、家のミニチュアは再度展示されたが、説明にはやはり“職員も協力”という記載があった。
《昨年同様、ご家族の皆様、そして職員も協力し、楽しく制作されました》
前出の宮内庁関係者はこう語る。
「ミニチュアとはいえ、かなり大きな作品で精緻なものでした。ただ振り返ってみると、秋篠宮ご夫妻は以前から、“作品づくりに職員が協力するのは当然のこと”というお考えをお持ちになっているように思います。
今回のトンボ論文の筆頭著者が悠仁さまになっていることに疑問を感じた国民もいるようですが、秋篠宮ご夫妻は特に違和感を覚えられなかったのでしょう」