10月15日、石川県の芸術家や伝統芸能後継者とお話しされた両陛下(写真:時事通信) 画像を見る

【前編】「能登の素晴らしさを太鼓の音に」天皇皇后両陛下が交流した伝統芸能後継者が語る「復興への思い」から続く

 

苦悩の末、開催を決めたお誕生日の一般参賀で、被災地へのメッセージを送られた天皇陛下。そのとき思い起こされていたのは昨秋に大歓迎を受けたばかりの石川県の人々の笑顔だったのか。今回取材したのは、「いしかわ百万石文化祭」で、両陛下が懇談された芸術家や伝統芸能を担う若者など。天皇陛下と雅子さまのお言葉は、石川県の復興を目指す彼らにとって、心のよりどころともなっていたーー。

 

天皇陛下と雅子さまは’94年と’98年にも石川県を訪問された。ご成婚から数年ということもあり、その初々しいご様子も石川県の人々の印象に残っている。両陛下が白山市の「石川県ふれあい昆虫館」を視察されたのは’98年8月のこと。

 

同館の企画展示係長・石川卓弥さんは、当時をこう振り返る。

 

「天皇陛下と雅子さまが約800頭のチョウが放し飼いにされていた放蝶温室に入られたとき、蛹が金色になることでも知られているオオゴマダラが、雅子さまの髪で羽を休め、とてもほほ笑ましい雰囲気になりました。

 

幼虫の飼育室では、私はアゲハチョウの小さな幼虫をカップに入れる作業をしていたのですが、雅子さまにお声がけいただいたことを覚えています」

 

ふれあい昆虫館は建物の倒壊など、能登半島地震による直接的な被害は免れたが、一時的に来館者が減るなどの影響を受けた。

 

「いまは二次避難で、金沢市や白山市に来ている方もいらっしゃいます。当館の展示をご覧いただいて、少しでも元気になっていただきたいです」

 

輪島市や珠洲市など、甚大な被害が出ている奥能登地方。その周辺でも「がんばれ能登!」のかけ声とともに、被災地を支援する機運が高まっている。

 

金沢市内で茶道教場「好古庵」を構える茶人・奈良宗久さん(54)もその1人だ。

 

「稽古始めでは、地元の茶器などをしっかりと使って茶会を催し、それを義援金という形にして被災地に送らせていただきます」

 

裏千家の業躰(宗家の内弟子で直下の指導者として仕える役職)である奈良さんの実家は、加賀藩の茶の湯文化を支えた大樋焼の窯元。父で陶芸家の大樋陶冶斎は、’11年に文化勲章を受章している。

 

「私も大学では美術を学び、陶芸家を目指していました。しかし大学生活の終盤から、千利休を描いた映画や茶道に関わりのある方々との交流もでき、そして裏千家の千玄室大宗匠に出会ったことから、茶道に縁を感じるようになりました。それで茶道を学ぶために京都にある『裏千家学園茶道専門学校』へ入学したのです」

 

全寮制の専門学校で3年、さらに裏千家のお家元に入庵して、住み込みで6年修業した奈良さん。

 

「入学して1~2年、20歳のころ、再び縁に導かれていると感じることがありました。祖父(九代陶土斎)が隠居していた家が、千利休居士のひ孫であり、裏千家の四代仙叟宗室居士の住居跡だったことが偶然わかったのです。そこに現在、好古庵が建ち、稽古場として使用しています」

 

能登半島地震のため、好古庵も被害を受けた。

 

「年末に京都で行事に参加していたため、私が金沢市に戻ってきたのは元日のお昼過ぎ。そして夕方ごろ、買い出しに行こうとした矢先に衝撃が来たのです。

 

稽古場は瓦が落ち、内外の壁に20カ所ぐらい亀裂が入っていて、庭の灯籠も倒壊していました。もちろん能登の被害とは比べられませんが、父や祖父が作った茶わんも欠けてしまって、はかなさを覚えました。やはり形あるものは、いずれは崩れてしまうのだと……」

 

しかし奈良さんは、これからも決して色あせないであろう思い出を作った。

 

「昨年10月15日の『いしかわ百万石文化祭』オープニングステージでは両陛下の前で、お点前を披露させていただきました。

 

その後、別室でお話しさせていただいたのです。最初に皇后陛下は、『私も茶道をしていたんですよ』とお話しになりました。そして、陛下からの『今日は舞台で、どういうお気持ちでお茶を点てられたのですか』というご質問には、『開会式でしたので、これから始まる国民文化祭が無事に終わることの祈願、そして両陛下がお越しいただいたことへの感謝、この2つを思って点てさせていただきました』と、お答えしました」

 

コロナ禍での茶道のあり方など、両陛下からのご質問は、予定時間が過ぎても続いたという。

 

「最後に皇后さまが『ご家族の皆さまにもよろしくお伝えください』と、おっしゃったのです。’19年に皇居で即位の礼が行われたとき、父が招待されて参列しました。私も足の弱くなっていた父に付き添って行きましたので、そうしたことも気にかけてくださっているのだと思いました」

 

雅子さまの“ご家族の皆さま”というお言葉が、奈良さんの胸に強く響いたのには理由があった。

 

「95歳になった父が数日前から入院していたのです。私にとっては両陛下の前でお点前を披露すること、そしてお話をさせていただくことは、一生に一度の光栄なことです。そのことを病床の父にぜひとも伝えたいと思っていました。

 

開会式の2日後の夕方、病院で目を閉じている父に『天皇皇后両陛下の前でのお点前披露が無事に終わりました』『皇后さまが“ご家族の皆さまにもよろしくお伝えください”とおっしゃっていました』などと、耳元で報告しました。

 

看護師の方も『お父様、いつもとご様子が違いますね』と言っていましたので、きっと父にも聞こえていたのだと思います。父が他界したのは翌朝、およそ12時間後のことでした。最後に父に両陛下について報告できて、本当にありがたかったです。

 

現状では“石川県が復興したら”ということは被災された皆様のお心を思うとまだ考えられません。ただ石川県民には、昨年10月の両陛下のご来県の感動の余韻も残っているように感じます。天皇陛下と皇后さまが、この地にお心を寄せてくださっているだけでも、勇気づけられている人がたくさんいると思います」

 

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