■運命と向き合った激動の時代の皇女
充実した学生生活を終え、成年皇族として、そして社会人として新たな一歩を踏み出される愛子さまだが、運命の岐路も迫っている。ついに皇室典範改正に向けて、与野党が動き始めたのだ。
「3月18日、自民党は『安定的な皇位継承の確保に関する懇談会』で、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する皇室典範改正案について議論しましたが、出席者から反対意見は出ませんでした。早ければ6月に改正案が国会で可決される可能性が高くなっています。
そうなれば愛子さまは結婚しても、“皇女”として皇室に残られることになるでしょう」(皇室担当記者)
雅子さまはかつて親しい知人に、「愛子には愛子の持って生まれた運命があります」と、漏らされたという。宮内庁関係者はこう語る。
「天皇陛下と雅子さまの願いはただ一つ、愛子さまが幸せな人生を送られることにほかなりません。そのためには、皇室に残ると残らざるとにかかわらず、ご自身で人生を切り開く術を身に付けていってほしいと願われているのです。
日本赤十字社ご入社を後押しされたのも、その一環でしょう。いっぽうで愛子さまは、非常にご両親思いです。両陛下に同行されてのお出ましにも積極的で、今後はご一家そろって臨まれる公務も増えていくことでしょう。“結婚後もずっと両親の力になりたい”と、皇室に残られることを希望されているようにお見受けします」
卒業論文執筆のために、愛子さまがその人生を追体験された式子内親王も、皇室に生涯を捧げた皇女だった。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんが、その生涯について解説してくれた。
「愛子さまは、多大な時間と情熱を卒論執筆のために注がれたと伺っています。おそらく同じ内親王として、強いシンパシーを式子内親王に抱かれていたのだと思います。
中世文学にふれるなかで、その和歌や詠み手の生涯を知り、遠い祖先にあたる女性の生き方や考え方に深い関心をお持ちになったのでしょう。当時は皇女と非皇族の結婚はまれで、生涯独身だった皇女も少なくなかったようです。式子内親王も結婚はしていません。
式子内親王が生きたのは、平安時代から鎌倉時代にかけてで、武家の台頭により、皇室そのものが揺れ動いた時代です。内親王自身も、天変地異や政治的陰謀に巻き込まれました。そうした不遇ともいえる環境のなかで、自分の運命と向き合い、感受性豊かな自律性のある女性として、才能を大きく開花させ、生涯をまっとうした皇女なのです」
また式子内親王が斎院を務めている間、父の後白河天皇は、頻繁に両神社を訪れたという。
「後白河天皇崩御後、式子内親王は父を追憶する歌を多数詠んでいます。愛子さまもお小さいころから“パパっ子”で、いまも陛下と仲むつまじい様子をお見せになります。そういった父娘の関係性も、愛子さまと式子内親王の共通点と言えるかもしれません」(前出・宮内庁関係者)
伊勢ご訪問で足を運ばれる斎宮歴史博物館では、神に仕えることで皇室に尽くした祖先たちの生涯を振り返りながら、愛子さまはご自身の将来にも思いを馳せられる。