■一転した幸せだった結婚生活
「麻生太郎元総理の妹としても知られる信子さまは、’55年に麻生セメント会長の麻生太賀吉と第45代内閣総理大臣吉田茂の三女であるお母様との間にお生まれになりました。イギリスのロスリンハウス・カレッジを卒業後、松濤幼稚園の英語講師を務められ、 ‘80年に“ヒゲの殿下”と親しまれた寛仁さまとご結婚。その翌年に彬子さまを、’83年には瑶子さまをご出産されました。
料理上手で知られる信子さまですが、宮家に嫁がれた当初は、お料理にも不慣れだったそう。ひじきを戻すと膨らむということを知らず、目分量で戻したところ、ボウルから溢れるほどの量になってしまい2日かがかりで食べられたこともあったそうです。寛仁さまはそんな信子さまの料理を優しく見守られていて『プロの料理人の味は一定だが、ノンチの味は微妙に毎回違うからいいね』と声をかけられたそうです」(前出・皇室担当記者)
’91年に寛仁さまの食道がんが発覚。闘病される寛仁さまのために、信子さまは1日6回の食を用意。殿下の好みや、栄養価などを考え1週間で42食の献立を考える信子さまに、殿下も「ノンチ、あまり無理するなよ」とお声をかけられたという。信子さまは当時、本誌のインタビューで《宮さまが“うまい”とおっしゃってくださるひと言がいちばん嬉しゅうございました》と語られていた。
「しかし、何度もがんを発症されるなか、寛仁さまと信子さまとの間には徐々に溝が生まれていくことに。お二人の不仲の原因については諸説ありますが、寛仁さまの酒量の増加が主な原因だと言われています。そして‘04年には、信子さまと寛仁さまは別居生活を始めることになったのです」(前出・皇室担当記者)
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