■ひじきを戻しすぎて、2日間はひじき料理ばかりだったことも
「私の里の母は、祖父や父の仕事の関係で家にいないことが多かったものですから、母は私たち兄弟6人が仲よく暮らせるようにといつも念じておりました。私自身、母親像というものに夢がございまして、母親になったら、いつも子どものために家にいてあげたい、こんな料理を作ってあげたいと思っておりました」
信子さまのお父さまは、九州・福岡にある麻生セメント株式会社元会長・麻生太賀吉氏、お母さまの和子さんとの間の3男3女の末のお嬢さまである。
和子さんの父親は戦後最大の宰相といわれる故・吉田茂氏で、つまり信子さまは吉田首相の孫娘にあたられる。
渋谷のお屋敷に住まわれていた幼いころ、信子さまの召し上がるお食事は厨房の専門の料理人が作っていた。
「お弁当ひとつにしても、本職が作るのですから誰のお弁当よりもきれいだし、味もおいしかったと思います。けれども、やはり、学校のお友達の、お母さまが作られた三角形にならないようなオニギリがけっこう羨ましいと思ったものです。それがもとになっているのでしょう。子どもが、ただいま、と帰ってきたら『お帰りなさい、サンドイッチがここにあるわよ』みたいなことが言えたらいいなという気持ちが私にはありました。私は末っ子でしたので、母とともに過ごす時期がいちばん少なかったものですから、できるなら、そんなお母さんになってみたいと…」
そんなちょっびり寂しかったお育ちの信子さまだから、宮家に上がられてからは、母としてまた、主婦としてひとつの理想をお持ちになってきた。
しかし、信子さまとて一朝一タにお料理の腕を上げられたのではない。宮家に嫁がれた当時は失敗の連続だったとお笑いになる。
あるときのことだった。ひじきを戻そうと目分量でボウルにひじきを入れ水を加えてほこりが入らないように蓋をした。2 階で用事をすませ厨房に下りてみると、蓋が盛り上がっているではないか。何事かと思って蓋を取ってみると溢れんばかりのひじき。
「もう、びっくりいたしました。みんなで2日がかりでいただかなくてはいけなかったの。わかめも増えてしまって驚いたことがあります。ひじきもわかめも戻った状態のものしか見たことがありませんでしたから」
そんな信子さまの家庭料理を、殿下は温かく見守ってこられた。
「プロの料理人の味は一定だが、ノンチの味は微妙に毎回違うからいいね」
殿下は、箸を置きながら、こうおっしゃられたことがある。外でお金を払って食ぺるプロの味もおいしいが、家庭料理は、たとえごちそうでなくても「うちの料理がいちばんおいしい」と、家族に言ってもらえることが、主婦にとっては最高の「日々の張り合い」だと、信子さまは殿下のそのときのお言葉を覚えていらっしゃる。
初体験でびっくりされたのは、宮家独特のお正月料理のなかのキジ酒である。
「キジ酒を作るのに、キジの羽と皮を剥いで、胸の部分とももの部分をパラします。作り方はうかがっていたのですが、新婚最初のお正月で、宮家に上がったばかり。最後は半泣きでむしったものです」
それを生のまま塩漬けにして蒸したのちに軽くあぶり、薄切りにして杯に入れ、熱燗を注ぐ、というのがキジ酒。
「私が半泣きになっておりましたのが宮さまのお耳に入りお知り合いの方にお願いしてくださったのか、翌年からは羽をむしったものをいただくようになりました」
妃殿下は、新婚時代を懐かしんでおられるようだった。