11月24日、喪主として百合子さまの御通夜に臨まれる彬子さま(写真提供:宮内庁) 画像を見る

大正、昭和、平成、令和と、4つの御代を生き抜かれた三笠宮妃百合子さまが101歳で薨去されたのは、11月15日のこと。11月26日には葬儀にあたる「斂葬の儀」が、彬子さまを喪主として執り行われた。その後は、三笠宮家の寬仁親王妃信子さま彬子さま、瑶子さま、高円宮家久子さま承子さまは30日間にわたって喪に服されている。

 

12月10日、彬子さまは「斂葬の儀」で喪主を務められた以降初めて、葬儀以外の取材を伴う行事に出席された。常陸宮妃華子さまとともに、千葉県市川市にある新浜鴨場で、日本伝統の鴨猟で外交団をもてなす「鴨場接待」に臨まれたのだ。

 

「ルーマニアやサモアなど29カ国の駐日大使らが招かれ、網で捕まえた鴨を放つ『放鳥』などが行われ、その後に昼食会が開かれました。彬子さまは終始笑顔で、和やかに各国の大使たちと懇談されていました」(皇室担当記者)

 

ほほ笑ましい場面をよそに、三笠宮家を巡ってはご家族内の“分断”が、百合子さまの薨去後に注目を集めて続けている。三笠宮家の事情に詳しい宮内庁関係者はこう明かす。

 

信子さまと彬子さま、瑶子さまの“確執”は、百合子さまが薨去された後にも続いています。11月15日に、弔問のため三笠宮邸を訪問された信子さまは、玄関で宮務官らに労いをお伝えになっただけで、百合子さまのご遺体には対面されず、“玄関払い”されていたことは、宮内庁内にも驚きの声が広がりました。

 

生前の寬仁さまと、信子さまはご夫婦仲が極度に悪化しておられました。寬仁さまのアルコール依存症の治療方針を巡る対立や、殿下による家庭内暴力など、さまざまな原因がこれまで報じられています。2004年に信子さまが寬仁親王邸(現・三笠宮東邸)から離れられて以降、今日に続くご家族内の対立が続いていらっしゃるのです。

 

彬子さまと瑶子さまは、寛仁さまに皇族としてのなさりようや、ご活動のあり方について大きな薫陶を受けられていました。心底敬愛されていたゆえに、“病気の父を置いて家を出るなんて”というお気持ちを、彬子さまと瑶子さまは抱かれていたのでしょう。

 

三笠宮家の諸行事に一切お出ましにならなくなった信子さまに代わり、2012年に寬仁さまの斂葬の儀の喪主は彬子さまが務められるなど、次第に三笠宮家内の祭事は彬子さまが取りしきられるようになっています」

 

また昨今、彬子さまはさかんにメディアへ出演している。9月には、寬仁さまも2回出演したことがある『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演されたほか、11月には『話題の肖像 ~ニュースなあの人を追ってみた~ あるプリンセスの素顔』(NHK総合)では密着取材を受けられるなどのご注力ぶりなのだ。

 

「かつて彬子さまが出版されたオックスフォード大学への留学記『赤と青のガウン』がSNS上で話題となり、今年文庫版として刊行され、累計で30万部を超えるベストセラーとなりました。

 

彬子さまは、“皇族は国民の中に自ら入っていって、国民の求めることをする”という寬仁さまの教えを守り、ご公務や研究活動のほか、日本の伝統文化を若い世代に普及する一般社団法人『心游舎』を立ち上げられ、皇族のなかでも存在感を高めておられます。

 

またウェブメディアの『和樂web』では、月に一度連載エッセイを綴られており、宮中の行事や心游舎でのご活動などをユーモアあふれる文体で発信されています」(前出・皇室担当記者)

 

だが百合子さまの薨去後、信子さま、彬子さま、瑶子さまのお三方の間に生じている“対立”が、三笠宮家の将来をより不透明な状況にしている。そんななか、彬子さまは連載を寄せられている「和樂web」に、「【特別寄稿 彬子女王殿下】最愛のおばあちゃま、三笠宮妃殿下との思い出」と12月1日に手記を寄せられた。彬子さまはこの中で、

 

《妃殿下への御恩と感謝は、私がこの先一生かけてもお返しできないものである。何よりも、20歳ころまでそれほど交流が多くなかった不肖の孫である私を、これほどまでに慈しみ、導き、そして信頼してくださり、ご自身の人生の幕引きの責任者である喪主をお任せくださったことは、私にとって最高の誉れである。この任務を全うすることがご恩返しの第一歩だと思い、精一杯お務めしたいと思っている》

 

と、百合子さまへの感謝と“誓い”を記されている。前出の宮内庁関係者はこう語る。

 

「慣例から言えば、三笠宮ご夫妻のご長男・寬仁さまのお妃である信子さまが当主となるはずですが、ご家族との長年にわたる“断絶”によって、信子さまはご家族と祭事はおろか日常的なコミュニケーションも取ることができません。こうした事情から、慣例通りにお三方が一つの宮家としてまとまることが難しい状況にあるのです。

 

目下宮内庁内では、皇族経済法などの規定に基づいて、お三方がそれぞれ世帯主となる形が可能かどうかなど、さまざまな方策が検討されています。とはいえ、彬子さまからすれば“三笠宮ご夫妻や寬仁さまのご遺志を継承するのは私しかいない”という思いが強いように感じています。昨今の積極的な発信や、連載での三笠宮崇仁さまや百合子さま、寬仁さまとの思い出をつづられていることも、そうしたご決意からなのでしょう」

 

百合子さまが薨去されてまもなく1カ月が経とうとしている。三笠宮家に残られるお三方は、どのような道に進まれることになるのだろうか。

 

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出典元:

WEB女性自身

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