■天皇皇后両陛下が、いまも寄せ続けられる硫黄島へのご関心
また渡部さんと、ときおり島での思い出話をするという原ヤイ子さんは、那須に移住後の開拓の苦しさについて、次のように話していた。
《掘っ立て小屋を作り、共同生活しながらの開拓だった(中略)寒いし、食べるものもない。本当に大変だった(中略)あの恐ろしい戦争がなければ、今ごろどんな暮らしをしていたのか》(「下野新聞」’23年8月10日付)
例年、那須を訪問されてきた天皇ご一家。なぜ今回はご静養中にもかかわらず、渡部さんや原さんと懇談されることになったのだろうか。
宮内庁関係者によれば、
「戦争の記憶を次世代へ語り継ぐ両陛下の旅は、4月の硫黄島からスタートしました。天皇陛下も雅子さまも、硫黄島を訪問されたのは初めてのことで、事前にあらためて島の歴史や、住んでいた人々のその後などについての資料を読み込まれたのでしょう。そのなかに、渡部さんや原さんの談話もあったのかもしれません。
また今年は戦後80年であり、両陛下が初めて訪問されるということで、硫黄島の悲劇が注目され、複数のメディアが、お2人を取材していました。それを目にした天皇陛下と雅子さまが、貴重な体験談を聞く機会を熱望されたのでしょう」
ご静養も慰霊に捧げる両陛下について、名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう話す。
「硫黄島を訪問されるだけではなく、その後も関心を寄せ続けていらっしゃるということだと思います。それは帰島できない人々に寄り添うということであり、戦争の記憶の継承という点でも、非常に重要だと感じています」
天皇ご一家にとって、戦後80年の慰霊の旅は、平和を守りぬくための新たな始まりだった。
画像ページ >【写真あり】4月7日、「硫黄島島民平和祈念墓地公園」で雨の中、供花された天皇皇后両陛下(他15枚)
