愛子さま 皇族として「防災の国体」に初ご出席!ついに見つけられた「生涯のご公務」
画像を見る 新潟県中越地震の被災地、川口町(現・長岡市)の避難所で、被災者を見舞われた上皇ご夫妻(写真:JMPA・2004年11月6日)

 

■生涯をかけて臨まれるご公務に

 

新潟での「ぼうさいこくたい」ご臨席が決まった意義について、長年皇室番組に携わる放送作家のつげのり子さんはこう話す。

 

「日赤の社員として愛子さまは、日常的に災害を意識する機会が多い環境におられます。 国民一人一人がどのように災害に備え、そして災害が起きればどのように助け合い、関係機関それぞれが手を差し伸べることができるのか、こうしたことを常に考えていらっしゃるのでしょう。

 

今後とも若い世代と、防災について語り合い、ともに助け合えることの大切さを広く知らしめていただきたいと思っています」

 

毎年「ぼうさいこくたい」は、全国の都道府県の持ち回りで開催されている。こうした一面も、今後愛子さまが生涯をかけて携わるライフワークとしてこの行事を定められていくのではないかと、前出の宮内庁関係者は明かす。

 

「第10回大会のみならず、毎年全国の開催県に足を運ぶことを望まれていると聞きます。

 

日赤でのお仕事で、愛子さまは災害ボランティアの支援や育成に関わられてきました。そうしたなかで今後、皇族として災害が発生した際の救助や救援、その後の被災地の復旧・復興にどのように関わっていくべきか、日を増すごとに思いを募らせ、お考えを深められていったと伺っています。

 

特に今回第10回大会が開かれる新潟県は、21年前の中越地震で大きな被害が出ています。当時愛子さまは3歳になられる前でしたが、最大震度7を記録し、関連死を含めて68人の犠牲者が出た災害は、その後愛子さまが災害に関心を抱くきっかけの一つとなったと……。このような背景もあり、新潟県での『ぼうさいこくたい』への参加は、愛子さまも熱望されていたようなのです」

 

2024年1月、愛子さまの日赤へのご就職が発表されたが、折しもこの直前、能登半島地震が発生している。これも愛子さまの転機の一つだったのだろう。

 

元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんはこう語る。

 

「能登半島地震発生の翌2月に行われた気象庁長官と防災担当の内閣府政策統括官の天皇皇后両陛下へのご進講に、大学卒業前の愛子内親王殿下が同席されています。今回お成りが決まった防災推進国民大会は、嘱託職員となられた日赤でのお仕事と重なる部分も多いといえます。

 

愛子内親王殿下がお出ましになれば大きく報じられることになり、国民がより防災意識を高めていくきっかけにもなります。また日赤のお仕事とも重なる部分があれば、将来的にご結婚し皇室を離れることになっても、この行事に関わっていかれる可能性はあると思っています」

 

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